■再び起承転結について:春夏秋冬のリズム
1 起承転結と春夏秋冬
中国では[四個が一つの単位となり、或いは一個が四等分される例は極めて多い]と宮崎市定は「東風西雅録」に書いています。とくに[一年を春夏秋冬の四季に分かつのは中国では非常に古く]からなされてきたことでした(p.236『宮﨑市定全集20巻』)。
春秋時代には「一年を春夏秋冬の四季に分かつ」ことが確立していたようです。四季は[東亜の風土に適合した、言い換えれば自然に密着した区分法]であり、[季節を離れても他のあらゆる場合に応用することのできる、基本的なリズム]と言えます(p.237)。
[中国の作詩法、特に絶句における起承転結のリズムは、そのまま春夏秋冬の進行と一致する]のです。春に[始動し、夏はこれを承けて発育成長し、秋に][果実をつけ、防衛態勢に入る]。冬に[樹葉は落ち][再び春の訪れを待つ、一年の帰結]です(p.237)。
2 ヨーロッパ古典劇の起承転結
起承転結は「東亜の風土に適合した」リズムのため、[起承転結のリズムは日本の歌曲においても認められ]ます。宮﨑は『平家物語』の例をあげ、[起句と結句だけで意味は分かるのだが、その中間に承転があって初めて詩になっている](p.239)と記しました。
おなじく四季のあるヨーロッパでも、[古典劇は五幕から成るが、その第一幕は][発端であるから、これを除けばあと四幕となり、起承転結のリズムがそのまま宛てはまる。そのクライマクスはすなわち転で、終幕の一つ手前に来るのが普通とされ]ます(p.238)。
この点、加地伸行が『漢文法基礎』で同様の指摘をしていました。「起承転結」に言及して、[絶句の本当の味は、一気貫通、とでもいうような、ざっと一気に歌いあげ、三句目(転句)のところで盛り上がるようにするところにある](p.451)というのです。
3 「起承転結」と文書の適合性
「始動(起)」「発育成長(承)」「果実をつけ(転)」「一年の帰結(結)」という四季のリズムを考えると、「転」で「歌いあげ」て、「クライマクス」をつくることがわかります。このリズムが漢詩絶句だけでなく、ヨーロッパ古典劇の構成にも生きているのです。
しかしこれは[現今ヨーロッパ文化の中心、パリ・ロンドン・ボン付近]に住む人たちの実感ではなく、[南欧、ギリシア・イタリアからの継承]でしょう(p.240)。さらに18世紀[ヨーロッパにおけるシナ趣味の輸入流行]の影響だと宮崎は指摘します(p.241)。
季節を4つに分けるのは、世界に広く行われていることです。一年をある種のリズムでとらえるのは、感覚的にも伝わりやすいでしょう。ストーリーを展開させ、完結させるリズムである「起承転結」が、劇や随筆などの構成に使われるのは自然かもしれません。
一方、事実に基づき、論理的に記述しようとする学術的な文書やビジネス文書の場合、こうしたリズムとは、相いれない種類のものであるということになります。「起承転結」を否定する必要はありませんが、使う場面を間違ってはいけないということです。