■「起承転結」に対する誤解:ビジネス文書で使えない理由
1 「起承転結」への誤解
「起承転結」と言っても、知らない人が増えてきました。漢詩絶句の四行が「起句・承句・転句・結句」であり、サンプルとして、「京の五条の糸屋の娘/姉は十八、妹は十五/諸国大名は弓矢で殺す/糸屋の娘は目で殺す」(諸バージョンあり)があげられます。
日本では、これを文章構成のスタイルとしてきました。しかし、そもそも「起承転結」には、誤解があるようです。『漢文法基礎』で加地伸行は、[この説明、実はよくない][絶句を読むとそう簡単に「転」じているわけではない](p.449)と指摘しています。
サンプルは「初心者の質問」に対して、[思いつきで例を作った]程度のものとのことです(p.449)。本来の絶句の構成とは別に、初心者向けの思いつきが独り歩きしたということになります。当然のことながら、ビジネス文書の作成に使えるものではありません。
2 三句目が盛り上がる形式
加地は、李白「越中懐古」をあげて、[この詩の前三句は、はるかその昔、呉・越の戦いの情景を李白が想像して描いており、最後の一句が現在の荒れ果てた情景を述べている。この第三句「宮女…」が、いわゆる「転換」を起こしているだろうか]と問いかけます。
[そんなことはない。第一句、第二句そして第三句としだいに高まっていっている感じで、前三句には一貫した流れがある](p.450)。この詩に限りません。王昌齢「西宮春怨」でも、[初めから終わりまで気持ちが一貫している](p.451)と指摘するのです。
▼絶句の本当の味は、一気貫通、とでもいうような、ざっと一気に歌いあげ、三句目(転句)のところで盛り上がるようにするところにある。だから「転句」ということばの「転」という漢字の感じに引きずられないように注意しよう。 p.451
3 初心者用のひな型
起承転結が、日本的なスタイルとして広がったのは、マクラがあってオチがあるだけでは平板なので、そこに「転換」を加えたのではないか、と思いたくなるようなところがあります。しかし本来は、転換でなく、結句の前に盛り上がりをつけるということでした。
前三句が「一貫した流れ」「一気貫通」になっていれば、三句目が盛り上がります。[第三句の転句は、感情の盛り上がりであり、いわゆる転換の意味を持っていない](p.451)のです。日本で言われている「起承転結」は、そもそも実態とは違ったものでした。
加地は、漢詩の絶句の説明として「初心者用」、あるいは「幼稚園児」「子ねこ」用のサンプルが独り歩きしていることを指摘して、「よくない」と記しています(p.449)。こうした水準の、日本独自のサンプルが、文章構成のお手本になるはずがないのです。
まず自説を明確にしなくてはなりません。その根拠が示される必要があります。つまり、自らの考えの裏づけを確認し、自説を構築していき、今度は、それが理解されるように、文章を再構成しなくてはなりません。初心者用のひな型など役に立たないのです。