■小学校では主語・述語を教えながら、通説から主語を追放した日本語文法

     

1 教科書には「主語・述語」の解説

文章チェック講座を行ってきました。リーダーの方々が、スタッフの文章をどうチェックしたらよいのかについての講座です。さらに生成AIの作った文書のチェックも問題になるでしょう。この時期に、大勢の方にご参加いただき、感謝しております。

今回、講座が終わった後、帰り際にお話をした受講者の方から、面白い質問をいただきました。講座の中で、日本語の文法の話をしたのです。ヘンなところがいくらでもあります。ツッコミどころ満載の分野ですが、あまりの話に、よく理解できなかったようです。

ご質問は、「主語」とか「述語」というのは、学校ではもう教えていないのでしょうか…というものでした。学校では教えています。しかし、学界では、主語が追放されているのです。2005年刊の『新版日本語教育事典』には、主語の項目がありません。

      

2 主語を追放して、述語を重要視する通説

主語と述語は両者が相互作用をして、二本足で立っている形式を表します。日本語の場合、英語などの欧州言語の主語と同じ概念の主語は存在しません。言語の系統が違いますから、当然、概念は大きく違います。だから主語はないのだ…というのは、わかります。

もしそうであるなら、述語も概念が大きく違いますから、述語もないと言わなくてはおかしいでしょう。動詞述語と言われるように、英語の述語は動詞に限られます。しかし日本語の場合、動詞以外でも述語になれます。主語概念の違いと同様、相当大きな違いです。

しかし述語こそ、現在の通説日本語文法の中核概念を担っています。さらに悪いことに、これに品詞を絡めているのです。名詞述語、形容詞述語、動詞述語というのが通説のようです。品詞の概念が明確にならない日本語で、ずいぶん大胆な見解が支持されています。

     

3 思考形式と言語形式における構造の乖離

学校の通説では、述語はありますが、主語は存在しません。一方、小学2年か3年の教科書には、主語・述語という言葉が記されていて、説明が加わっていますから、小学校の教科書には、主語・述語はあるのです。河野六郎は、以下のように書いています。

▼日本語の文の要は、その述語の部分にある。断っておくが、シンタックスを考える場合、学校文法では、その理解を容易ならしめるために、文にはかならず<主語>と<述語>の部分がある、という命題が教えられる。しかしこの命題は実は思考形式の構造をいうのであって、言語形式の構造に対してはかならずしもそうはいえない。 『日本語の歴史 7』 pp..57-58

「思考形式の構造」と「言語形式の構造」が違うこと自体は、わかります。思考形式の構造を示すために「主語・述語」を教えるけれども、言語形式の構造を理解するためには、「主語・述語」はいらないのです。この二つの構造に適った概念が必要となります。

つまり「主語・述語」ではなくて、日本語を思考形式からも言語形式からも共通と用語を使って説明できるように、新たな概念が必要になるということです。学校では主語・述語を教え、通説では主語を追放しているのはヘンだ…と感じるのは自然なことでしょう。