■「和歌の前の平等」についての解釈:小池清治と渡部昇一
1 文字化された和歌と筆録した和歌
小池清治は『日本語はいかにつくられたか?』で、『万葉集』と『古今和歌集』の違いについて、なかなか面白い視点で論じています。『古今和歌集』の「仮名序」で[「生きとし生けるもの」は皆、歌を詠むのだと貫之は言う]のだが、実際は違うだろうと。
[和歌の前では][天皇も乞食も平等である]が[しかし、和歌の前の平等を実際に行っているのは『古今和歌集』ではなく、『万葉集』なのである](p.40)と指摘します。なぜそうなのでしょうか。小池は[文字化された和歌]があったかどうかを問題にします。
『万葉集』が編まれた[家持の時代には文字化したくても文字化する能力を持たない人々が多かったはずである](p.41)から、[歌を採集し筆録することの必要性]があったのです(p.42)。その結果、様々な人たちの歌を集めた詞華集ができたということになります。
2 万葉と古今の相違と連続性
『古今和歌集』の時代になると、[文字化された和歌の中から選者たちは優れたものを選び出し部類分けし、配列した](p.41)から、[知的エリート階級の詞華集]になったということです。[文字による差別](p.42)があったというのが小池の考えでした。
小池は先に上げたように、「和歌の前の平等」という言い方をしています。これは渡部昇一が『日本史から見た日本人』で提唱したものでした。この点、言及がありません。渡部は、これを発展させて『日本語のこころ』を書いています。こんな指摘をしていました。
▼古来、万葉と古今の比較を論ずる人は多くいて、しかもそれぞれ説得力はあるのだが、これらの論者の発想に重大なる問題が一つあると思う。それは、万葉と古今の相違ばかりに注意が言っていて、連続の方の意味が忘れられているということである。 p.110 『渡部昇一の日本語のこころ』
3 主となる渡部の見解
渡部は、和歌の中に漢語を入れない原則がある点を指摘します。[『古今集』の作家の大部分は漢学に通じ、漢詩も作れた]人達でした(p.112)。そうした[インテリたちが、ほとんど漢語を使わず、百パーセント大和言葉から成り立つ歌を作っ]たのです(p.116)。
和歌が[大和言葉で作り続けられたという連続性の方がはるかに驚くべきである]と主張しました(p.116)。「歌の父」の「難波津に…」と「歌の母」の「安積山…」の和歌について、小池は両者を[貴族や僧侶]の[「手習」]と言うのみです(pp..41-42)。
渡部の方は、「歌の父」の王仁は百済から来て[日本に帰化した学者]、「歌の母」の采女(ウネメ)は[天皇や皇后の身の廻りの世話をさせた]侍女であり、[和歌の「父」が外国人の作品だったり、和歌の「母」が田舎での女中の歌]だと説明しています(p.132)。
これを[説明する原理]は[「和歌の前に平等」という神代以来の日本人の感じ方](p.134)にあると、渡部は言うのです。両者の考えは矛盾しません。ただし軽重があります。渡部の主張が主となるものであり、小池の方は、従たるものであるということです。