■日本語の品詞概念-安定性の水準:品詞の確立した英語・品詞のない漢文
1 基本文が名詞文・動詞文・形容詞文のみ(?)
日本語文法の脱英文法化が必要だという主張を、金谷武洋が『日本語は滅びない』でしていました。その通りでしょう。しかし、どうしたわけか日本語の基本文が、名詞文・動詞文・形容詞文と3種類しかないというのです。おかしなことを、おっしゃいます。
何でまた、品詞を上位概念に使って、日本語の基本文を考えるのでしょうか。まったくナンセンスなことでした。「脱英文法化」を進めるべしと言いながら、ズレたことを主張してはいませんか、そんなことを先日、書いてみたのです。追記が必要かもしれません。
渡部昇一は、『アングロ・サクソン文明落穂集12:伝統文法の「伝統」とは何か』で、印欧語における品詞の重要性について記していました。[品詞分類に基づいて正確に理解できることこそが、印欧系諸語の本当の特質なのである](p.111)ということです。
2 漢文(シナ語)には品詞がない
日本語では、[8品詞(その相当語)の理解こそ、印欧語の真髄を理解することに通ずる](渡部前掲書:p.111)と言えるほど、品詞の概念が安定していません。品詞のない漢文(シナ語)とは違って、日本語に品詞があることは確かでしょう。しかし不安定な概念です。
『日本語の歴史 7』の中に、[シナ語には品詞の区別がないこと]が書かれています。記述内容から、河野六郎の執筆でしょう。[「人」は名詞的意味を持ち、「飛」は動詞的意味を持つ]けれども、これは品詞の区分ではないというのです(p.46)。
▼名詞とか動詞とかいう語の分類は言語形式の特徴によって群別されるべきもので、語形変化のない言語に名詞とか動詞とかという分類をすることはできない。「人」が名詞であり、「飛」が動詞であるとするのは、それが他の言語、例えば、日本語とか英語とかに翻訳すると、それぞれの言語の品詞で名詞になったり、動詞になったりするからにほかならない。 『日本語の歴史 7』 p.46
3 日本語での品詞分類には限界がある
日本語は、英語のように品詞概念が確立しているわけではなく、一方で、漢文(シナ語)のように品詞の概念のない言語ではありません。動詞には動詞の活用形があり、形容詞には形容詞の活用形があります。しかし名詞に関しては、明確な定義がなされていません。
先の『日本語は滅びない』で名詞文の例としてあげていたのが、「好きだ」でした。「好き」が名詞だということになります。近藤安月子の『「日本語らしさ」の文法』では、[「元気だ」はナ形容詞述語、「病気だ」が名詞述語である]とあります(p.16)。
あるいは[「平和ナ国」の「平和」は国の属性を指すナ形容詞ですが、「平和ノ祈り」の「平和」は祈りの対象としての名詞](p.16)だそうです。当然、[品詞分類には限界があり、品詞間の境界は必ずしも明確ではありません](p.17)と言わざるを得ません。
不安定な概念である品詞に基づいて、[述語タイプは「名詞+だ」の名詞述語文、形容詞述語文、動詞述語文の3タイプに整理できます。この分類には日本語教育の文法に求められる客観的な視点が反映しています](p.15)とのこと。無謀で痛ましい主張です。