■日本語文法論の幼児性:「主題ならハ・主格ならガ」と「名詞文・動詞文・形容詞文」

       

1 いまだに三上章の文法

日本語の文章をきちんと読みこなして、これを評価することは、リーダーにとって大切なことです。江藤裕之によると、英語の論文の場合、文法ルールにそった表現が求められるとのことでした。当然ともいえます。しかし日本語の場合、文法が整備されていません。

金谷武洋『日本語は滅びない』(2010年刊)は、三上章の主張を基本にした本です。[三上の主張をごく簡潔に説明しよう]と言い、「主語・主題・主格」を取り上げています。有力説なのか通説になったのかはわかりませんが、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。

▼三上は日本語に「主題」はあると言った。あるどころか、日本語にとって極めて大切な概念であり、それの標識が「ハ」であると言う。次に「主格」もあるとした。これは格助詞の「ガ」が目印である。しかし、主格で表される後はあくまでも「補語」であり、主格補語は文の成立に不可欠な要素ではない。したがって、結論は明らかだ。日本語の構文説明に「主語」は不要なのである。 p.86

     

2 日本語基本文の3分類

主語概念をなしにすると、[「ハとガの違い」などと言う問題も出てこないし、日本語の基本文は述語一本建てとなって実にすっきりする][名詞文(例:好きだ)・動詞文(例:笑った)・形容詞文(例:楽しい)と3種類しかなくなる](p.86)という説明です。

たとえば「幸せだね」で文が成立し、意味は文脈によって決まります。だから[日本語の述語が潜在的に主格や目的格の補語を含んでいる](p.87)。つまり[西田幾多郎が喝破した様に、述語とは主体も客体も含まれている「場」](p.184)だということになります。

そして金谷は[日本語の脱英文法化をさらに進めなければいけない](p.183)と言うのです。しかし日本語をきちんと分析して、評価しなくてはならないリーダーが、こうした文法論から何か得ることがあるでしょうか。おかしな点に気づくかどうか、気になります。

     

3 幼稚すぎる発想「主題ならハ・主格ならガ」

金谷によれば「好きだ」は名詞文です。「好き」は名詞になります。名詞の定義にもよりますが、活用しない語ですから、名詞でよいでしょう。「ハトだ」も同様の名詞文になります。こうした考えによると、日本語の基本文は3種類しかなくなるそうです。

「公園にハトがいる」と「公園にハトがいない」は一般の人の感覚で言うと、同じ種類の基本文にならないと、ヘンでしょう。しかし「いる」は動詞、「いない」は形容詞です。前者は動詞文、後者は形容詞文になります。3種類に分類できればよいのでしょうか。

これは日本語に寄り添った考えではなくて、名詞・動詞・形容詞という品詞に依存した、ヘンな分類です。こんなおかしな考えを基本にした文法など使えるわけがありません。早く「脱英文法化」する必要があります。日本語の使い手の視点がなくてはダメです。

「主題」なら「ハ」、「主格」なら「ガ」がつくといった安直な発想は、幼稚すぎます。私たちは主題だ、主格だと意識して「ハ・ガ」をつけてはいません。伝えたい意味を正確に伝えるために、どうしているのか、もう一度ゼロから考え直す必要があるでしょう。