■手書きは記憶力を増強する:量とスピードならパソコンだが
1 手書きの軽視を反省
ある程度、入力になれたなら、パソコンで入力する方が、手で書くよりも負担がなくて、早く書けます。入力しておけば記録が残りますから、便利です。知らないうちに手で書く量が減ってきて、ある時、漢字が書けなくなって驚いたことがありました。
少しずつ手書きのノートを作るようにはなっていますが、まだしっくり来ていません。相変わらずパソコンなしでは仕事になりませんし、紙のメモ書きしたものも、大切だと思うものは、パソコンに入力しておかなくては、やはり心配です。
心配になるのは、自分の記憶が信じられないからでしょう。かつては手間をかけて手書きをするうちに、自然に記憶していることがありました。パソコン入力の方が、追記しやすくて、その点で便利ですが、記憶という点では、紙に書く方が有利なようです。
2 木田元のおそるべきノート
木田元『哲学散歩』の文庫の解説を書いている保坂和志は、[亡くなられた後、お宅で奥さまから先生の院生時代だったかその後も含めてだったか、若かったころのノートが何冊もあるのを見せていただいた]とのこと。[細かい字でびっしり書いてある]そうです。
▼ページの全体を埋めるのではなく、定規でタテに選を引いて見開きの頁を三分割ぐらいにして、いわゆるノート部分、注釈部分、あとで書き足す部分という風にシステマチックに整然とノートが構築されている。 p.218
[一度見たら絶対に忘れないが見たことのない人には想像つかないほど小さい]文字で[ノート部分にびっしり書いてある]という。文庫の文字よりも小さいのだろうなあと思ったりしました。こういう訓練をすると、かなりの部分が記憶できたかもしれません。
3 書くことと記憶すること
保坂は、[大英図書館に毎日通って本を書き写した南方熊楠のように、書物の必要箇所を機械でコピーするのでなく手で書き写す。思考力というのはそういう手間と時間を通して練り上げられる](p.219)と記しています。それは記憶と結びついているようです。
▼木田先生には『詩歌遍歴』(平凡新書)という隠れた名著があり、これは青年時代に愛読した内外の詩を中心に短歌・俳句にも広がって思い出も多く綴られた本だが、驚くのは先生はそこに引用した詩のすべてを暗唱することができた。 p.219
手間をかけて、きっちり書いたり読んだりすることにより、大切なことは記憶できてしまうのでしょう。歳のせいにしてしまうのは簡単ですが、パソコンを使う前の手書き時代の記憶力は、今よりも優っていたことは確かです。ちょっと複雑な思いになります。
量やスピードを重視するとき、パソコンなしということは考えられません。テキストを一気に作れるのも、パソコンがあるおかげです。しかし実力をつけるのに、手書きは基礎になります。これも身に染みてきたことでした。バランスを考えなくては…と思います。