■内藤湖南『日本文化史研究』という名著について
1 日本史についての講演録
歴史を勉強したからといって、それがビジネスに使えると思うのは期待しすぎではないかと思います。期待する人には、ケーススタディとして利用できるといった考えがあるようです。しかし考え方のトレーニングに使った方がいいのではないかと思います。
前回、そんなつもりの話をしました。身近な日本史の本を読むのは、楽しみにもなります。日本通史なら渡部昇一『決定版 日本史 増補』がコンパクトな一冊としてお勧めです。文庫に入っています。ただし考えるための本は別なものになるでしょう。
内藤湖南の『日本文化史研究』は講演なのでわかりやすいはずです。とはいえ、歴史の知識がないと、さらっとわかる本でもありません。わからないところは調べる必要があります。そうやって内容を整理しながら読めば、非常に良い本です。名著といえます。
2 「日本文化とは何ぞや」
歴史の勉強がしたいという人から何冊かあげるように言われたので、内藤湖南のこの本と、宮﨑市定の本をあげました。ところが、もはや内藤湖南をご存じない方が多数派のようです。高島俊男『座右の名文』にも取り上げられた、1866年生まれの歴史家でした。
『日本文化史研究 上』の「日本文化とは何ぞや(その一)」で言います。[シナ文化が最初に日本民族に及んだ時代は、未だ日本民族は国家らしく団体を形成しておらなかった]し、高句麗などは[シナの行政的支配を受けていた](p.20)のでした。
それが[前漢の末期、シナの統治力が一時弛んだときに、初めてシナの行政区域内に半ば独立した土民の部落が出来、それが漸次に発達して後の高句麗国となったので、それはすなわち王莽(オウモウ)時代のこと](pp..20-21)、[大体耶蘇紀元頃](p.19)のことです。
3 「シナ文化はニガリのごときもの」
シナ文化によって日本文化が形成され、国が独立しました。もともと日本は[豆腐になる素質を持ってはいたが、これを凝集さすべき他の力が加わらずにあったので、シナ文化はすなわちそれを凝集さしたニガリのごときもの](p.22)と考えられます。
しかし[国民がある他の文化を継承しても、ある時代になると自覚をきたすのがふつうで]あり、[日本でも聖徳太子の時、初めてシナに対して、日出る処の天子と称して対等の語を用いた]。さらに[真の文化的思想的に自覚を生ずる]のです(pp..22-23)。
湖南は[それは自分の見るところでは蒙古襲来が最大の動機をなしたので、南北朝から以後、きわめて徐々に文化的思想的の自覚を生じ]させていると語っていました(p.23)。これについては『日本文化史研究 下』の「日本文化の独立」で扱われています。
いまからおよそ100年前の講演録ですが、現在でも読む価値のある本です。同じく講演録の『先哲の学問』もあります。内藤湖南は、宮﨑市定の師匠ともいえる学者です。内藤湖南も宮崎市定も東洋史を専門とした天才的な人でした。圧倒的な存在だと思います。
▼内藤湖南と渡部昇一、高島俊男の本