■通説を並べても体系は生まれない:『「日本語らしさ」の文法』を参考に
1 大学院のゼミで取り上げたテーマ
近藤安月子の『「日本語らしさ」の文法』は、東京大学大学院総合文化研究科のゼミで取り上げたテーマについて語られています。[日本語を客観的に眺め、日本語らしい日本語ということについて考えるヒントとなれば](はしがき)という趣旨で書かれたものです。
▼日本語は、語順の点では基本的にV-final言語、語構成の点では膠着語、主題か主語かの点では、主題が顕著な言語、そして、話者の事態の把握の点では、主観的把握傾向の言語であるという前提に立ちます。 p.6
これは通説に沿った見解のようです。著者独自の見解は、どんなものでしょうか。たとえば「2.1.7 品詞のまとめ」で、[形容動詞の活用と助動詞の「だ」の活用とほぼ同じ](p.15)点を指摘しています。この点をどう展開しているのかを見てみましょう。
2 日本語教育の文法にならう立場
近藤は[日本語を外から見ることを試みてください]と言い、[形容動詞は、意味的には形容詞に近く、形態的には名詞述語に近いことが分かります。つまり、日本語教育の文法では、形容動詞という品詞を独立させて認めることは説得力を欠く](p.15)とのこと。
[意味を重視して、形容詞の下位分類とする立場]と[形態を重視する立場]のうち、近藤は立場を明確にしません。ただ[本書も、日本語教育の文法にならって、以下、イ形容詞、ナ形容詞を使います]とのことですので、前者の通説的な立場になるでしょう。
[どちらの立場をとるかにかかわらず、日本語の述語タイプは「名詞+だ」の名詞述語文、形容詞述語文、動詞述語文の3タイプに整理できます。この分類には日本語教育の文法に求められる客観的な視点が反映しています](p.15)とのことです。
3 通説の甘さを反映
通説として扱われた安定的な見解を基にすると「客観的」になるとは、とうてい思えませんが、近藤は独自の立場を明確にしません。事実上、「意味を重視」する通説的な立場をとっていますので、「格助詞とその主な意味役割」の表(p.29)の記述を見てみましょう。
「マデ格」の「主な意味役割」は「最終到達点、限界点」とあります。「とりあえず東京マデ行き、その先は気ままに行こうと思います」という文を考えると、「マデ」は「最終到達点、限界点」と違うことがわかるでしょう。一区切りつける点が「マデ」です。
この詰めの甘さは通説を反映しています。「ニ格」は「存在の場所、目的・目標、時、着点」とのこと。これはただの列挙です。あるいは「来ている」「似ている」などの「テイル」についても、「現在の状態を表さないテイル形」があると列挙しています(p.101)。
その上で、「ル形、テイル形、タ形についてのより詳細な記述分析」については、以下の資料を[参照してください](p.102)とあります。通説を並べても体系はできません。その先に大胆に踏み込まない限り、日本語の文法では歯が立たないということです。