■ベストセラーのつくり方:大野晋『日本語練習帳』の工夫
1 約200万部のベストセラー
大野晋の『日本語練習帳』は、およそ200万部売れたベストセラーでした。私も持っています。日本語に関係する本の中でも、飛び抜けて売れた代表的な本のひとつに違いありません。少し前に久しぶりに手に取ってみて、内容とは別に、大胆な構成に驚きました。
それから用語の使い方も意識的だなと感じたのでした。これだけ売れた本には、それにふさわしい工夫があったということでしょう。あとがきに[原稿としての仕上げには大野陽子さんの全面的支援をうけた]とあります。まとめ方がうまかったのです。
「Ⅱ 文法なんか嫌い」を見てみると、「は」と「が」のことしか書かれていません。日本語の文法というと、ハとガのことばかり書いてあるとか言われることもありましたが、この本ではこれを逆手に取って、そのことだけを書いたのでした。
2 「主語-述語」だけでは不十分
そのつもりで読むと、うまいものです。「私は大野です」と「私が大野です」とを並べて、[「主語-述語」で文が成り立つといっただけでは、その差は何も分かりません](p.47)という言いかたをしています。「主語」という用語を否定しないのです。
主語概念を否定する代わりに、[それをそのまま日本語にあてはめると必ずしもうまくいかない](p.47)と言います。両者を主語と扱うだけでは不十分であるから、別観点からも見ていきましょうということです。以下のように書いています。
▼日本語のセンテンスの構造を理解するには、ハとガとがどんな働きをするのか、ハとガとはどこが同じでどこが違うのかをよく見極めること。 p.48
3 知的な雑談風のまとめ
「主語-述語」を否定せずに、これらの用語を使わないで、ハとガを別々に見ていくのです。2つだけを取り出すのですから、個々の説明だけで済みます。そして「主語-述語」の話はなかったことにするのですから、「述語」という用語を使うことはありません。
大野本は、いくつかの言いかえをしながら、一般に述語と呼ばれる概念を示します。「文の最後の一句」(p.49)、「文章の結びの一句」(p.50)、「文末」(p.53/54/57/62/68/69/70/76/77/82/85)、「センテンスの結末」(p.55)、「結末」(p.61)…といった風にです。
章の終わり近くでも、[ハとガとを「主語-述語」の形だけで扱ってもうまくいきません](p.85)という言いかたで、「主語-述語」をスルーします。文法の議論にならないように、上手に知的な雑談風のものに仕上げています。当然、内容は物足りません。
「あとがき」には、[批評・質問を」かわす会合][言葉の会]での、[二年ほど続いたそのやり取りを再現する原稿も作ってみたが、全体の均衡上、結局収められなかった](p.215)とあります。雰囲気を活かした、満足感の得られる概要を示したものでした。