■本が読めないという相談に対して:いかに集中をとりもどすかの問題
1 本が読めないことに気づいた若者
やっと定時で帰ることが出来るようになった若い会社員が、自分の能力低下に驚いたらしくて、相談してきました。あまりに忙しくてイライラが募って、穏やかな性格の人が、甘えもあったのか家族に暴言を吐いたようです。これがきっかけで転職しました。
自分で自分が嫌になった、もう限界だと思ったということです。転職の際にも相談がありましたので、その後も気になっていました。話を聞く限り、この転職は正解だったようです。ところが本人は別のことに驚いていました。当惑という感じでしょうか。
以前は楽しみで本を読んでいたけれども、時間がなくて本が読めなかったというのです。転職で時間も確保できるようになったので、少し勉強したいと思って本を手に取ったところ、前のように本が読めないのに気がついたということでした。
2 ひっきりなしの連絡と返信
時間がないから本が読めないと思っていたのに、今度は時間ができても、本が読めないと言うのです。読む能力が消えたと嘆くのですが、まあ、ありがちなことではあります。少し前まで携帯には、ひっきりなしに連絡が着て、それに対しての返信をしていました。
何かあると連絡が気になる様子は、転職してからもすぐには変わりません。意識して、集中しないと本が読めなくなるという話をしました。何人か、本が読めなくなってしまった人を知っています。彼らはすぐに他のことが気になって、集中できないのです。
本を読みだしてすぐに内容に引き込まれて、そのまま何時間も読み続けるといったことは、例外的なことでしょう。勉強のために読む本なら、しばらく著者の話につきあわなくてはなりません。わからなさに耐える必要があります。しばしの集中が必須です。
3 わからなさに耐えること
しばしの集中…と言ったのですが、しかし相手は長時間集中する訓練が必要だと思い込んだようです。特別な訓練があるかのような、そんな様子でした。根はまじめなのです。そんなすごいことは必要ありません。著者の言うことを理解するまで我慢することです。
たいてい、どこかでわかり始めます。わからなさに圧倒されてはいけません。気が散っても、また戻ってきて読み続けることが肝要です。戻ってくれば、記憶は消えていませんから、話はつながります。そうして、どこかで内容がわかってくるものです。
一番大切なのは、これでしょう。わかる前に撤退したら、本など読めません。どこかでわかってくるということが、感覚的に受け入れられるようになったら、もう心配ないでしょう。そうなったら、その先の技術的な方法を考えればよいということになります。
勉強のために読む本の場合、たしかに線を引いたり、書き込みをすることが役立つこともあるはずです。それは読めるという感覚が獲得できてからのことになります。一度、集中できなくなると、意識して集中しようとしない限り、なかなか元に戻らないものです。