■ギリシア・ローマ古代史はなぜヨーロッパ史の第一章をなすか:堀米庸三の問題と解答
1 大学院の入試問題
堀米庸三は『西洋と日本』所収の「ヨーロッパとは何か」という講演録で、大学院の入試問題を提示しています。「ギリシア・ローマの古典古代史はなぜヨーロッパ史の第一章を成すか」という問題です。はじめから正解が書けるとは思っていなかったようでした。
こんな問いをした歴史家は[私の知っているかぎり、一人もおりません](p.39)。そもそも[古典古代が発展して中世になり、中世が近代を生んだというように考えているかぎりは](p.46)、答えられません。歴史は[逆の方向で再構成](p.46)するものです。
堀米は言います。[中世が古典古代を自分の必然的な前提としたところから、古典古代がヨーロッパ史の第一章になった]のです(p.47)。[古典古代とヨーロッパとは相互に異質的なものを持っており、一つづきの時代ではない](p.50)ということが前提にあります。
2 ヨーロッパの自覚
[古代地中海世界の歴史がすなわちギリシア・ローマの歴史]です。[ヨーロッパは、この古代地中海世界が一つの世界としての統一性を失い、分裂した結果出てきた世界]であり、狭い意味でのヨーロッパとは[ロワール以北の地帯](pp..50-51)といえます。
アルプス以北に中心が移動し、分裂した状態のヨーロッパが[一つの世界たるためには、地中海古代史を自らの必然的な前提にせざるをえなかった](p.51)のでした。[自然にヨーロッパ、今日の私たちの考えるヨーロッパが生まれたのではない](p.55)のです。
ヨーロッパの概念は[十一世紀末、少なくとも十二世紀初頭にあった]のですが、[十三世紀末に十字軍が失敗裡に終わったのち]この意識がしぼみ、[ヨーロッパの自覚がふたたび明確さをとりもどすのは中世末の十五世紀](p.55)ということでした。
3 統一性の確保が必要
古代世界には[西洋史の全体を通ずる文化がはぐくまれたということができます]が、同時に[中世ヨーロッパの文化とは著しく性質を異にした要素も存在していた]のです(p.56)。古代世界では[完全な秩序と調和のある世界](p.58)を観念するのでした。
これとは[すこぶる異質的な観念が支配](p.63)する契機となったのは、一つはキリスト教の普及です。[もう一つの根源は、ゲルマン民族](p.67)でした。しかし[相互に異なる世界と文化がどうして歴史的に連続しあうことになったのか](p.70)が問題でしょう。
[地中海文明世界]は[高度に発達した文明世界であった](p.72)ため、この[世界の分裂にともない、この世界を目がけてつぎつぎに侵入を起こし]ます。これは単なる[ゲルマン民族の大移動]ではなく[はるかに規模の大きい長期にわたる現象]でした(p.74)。
[権力の分散が不可避的であった]世界が、[全体的統一を、たとえ理念的にもせよ]確保するには、ローマ教会の[普遍的な精神的な権威](p.75)が必要です。[ヨーロッパが古典古代史を自らの歴史の第一章](p.76)にしたのは、統一性の確保のためでした。