■現代語になって一番変わった文章構造:係り結びについて
1 古典文法の変容
現代語以前の日本語の文章で、いまと一番大きく違う文章構造は係り結びかもしれません。『日本語の歴史』の第3部「うつりゆく古代語-鎌倉・室町時代」で、山口仲美は係り結びについて書いています。平安時代の古代語がわれわれには典型的な古文でした。
▼武士の時代には、平安時代に出来上がった文の決まりも、相当姿を変えていきます。いわゆる「古典文法」が変容していく時代です。私たちが高校で学んだ「古典文法」は、平安時代の言葉の決まりだったのです。 p.88
山口は係り結びに注目します。[鎌倉・室町時代に、「係り結び」が姿を消していき]、[日本語の構造にまでかかわる大きな問題]になりました(p.89)。江戸時代になると、日本語は[現代の東京を中心とする言葉が形成されて](p.128)いくことになります。
2 係助詞「なむ・ぞ・こそ」の違い
代表的な係り結びである「なむ-連体形」「ぞ-連体形」「こそ-已然形」という結びつきを、何となく記憶しているかもしれません。これらの違いについて、古語辞典を見ても[三者の違いは、説明されていません](p.90)。山口は、違いを説明しています。
「なむ-連体形」は[念を押しつつ語る強調表現](p.91)であり、「ぞ-連体形」は[動作や状態が起きる]要因の[指し示しによる強調表現](p.92)です。「こそ-已然形」の場合、他ならぬものと[取り立てることによる強調]表現になります(p.93)。
違いは微妙です。たとえば「花なむ無き」「花ぞ無き」「花こそ無けれ」を、現代語ならどう表現するでしょうか。「花なのですね、ないのは」と念を押す、「花です、ないのは」と指し示す、「花こそ、ないね」と取り立てる、こんな感じかもしれません。
3 論理関係を明示する構造への変化
「なむ-連体形」は鎌倉時代になると急速に使われなくなります。[やわらかい語りの口調に限って出現する強調表現](p.104)のため、[武士の時代には柔らかさゆえに避けられ]て(p.105)、鎌倉時代末には[結びが終止形になって](p.106)、消滅するのです。
「ぞ-連体形」は[強調表現にしなければならない箇所ではない]ところにまで使われ、[実質的な強調表現の機能を失い]、慣用表現になってしまいます(p.108)。さらに室町時代末には、[終止形が連体形と同じ形になってしまったのです](p.117)。
生き延びた「こそ-已然形」も廃れてきます。[係助詞というのは、主語であるとか、目的語であるとかいう、文の構造用の役割を明確にしない文中でこそ、活躍できるもの]でした。鎌倉時代以降、[文の構造を助詞で明示するようになってきたのです](p.119)。
[鎌倉時代にはいると、主語を示す「が」が発達してきました](p.119)。日本語が[格助詞で論理関係を明示していく構造に変わった]、[論理的思考をとるようになった]のです。[係り結びの消滅は、日本語の構造にかかわる重要な出来事]でした(p.120)。