■宮崎市定の日本古代史構築法:富永仲基「加上の原則」の応用

      

1 日本古代史についての異説

宮崎市定は『古代大和朝廷』の序で[世界史のいずれの地域に関しても、問題が多いのはいつも古代史の分野においてであり、私の国史についての異説も、その殆どが古代史に集中している]と記しました。[全体の見通しにおいて欠けるところ]ありとします。

宮崎の場合、1948年出版の『アジア史概説』第7章「アジア史上における日本」の「日本古代史の諸問題」に全体の見通しを記していました。日本史の専門家とはアプローチが違っていました。宮崎は日本古代史についての問題を以下のように記します。

▼日本の古代史で最大の問題とされるのは日本紀元の問題である。しかしもっと大きな問題は、日本の古記に記された伝説全体をどのように見るかという総合的な認識の問題でなければならない。 p.406 中公文庫版『アジア史概説』

     

2 一道の光明を与える「加上の原則」

『古事記』『日本書紀』をどう読むかということが問題です。これらを無視するのはおかしなことですし、利用しない手はありません。しかし記されたものをそのまま信ずることもできないでしょう。どう読めばよいのかが問題です。宮崎は以下のように言います。

▼この問題について一道の光明を与えるものは、江戸時代の富永仲基によって発見され、内藤湖南博士がそれを紹介敷衍された、古代伝説は古い時代に向かってだんだん発達していくという、加上の原則である。 p.406 中公文庫版『アジア史概説』

ある地方に発達した政権が拡大するにつれ、周辺地域の伝説が[輸入されて歴史事実として信じられるようになる]。しかし[中央の歴史はある時代から以後ははっきりしている]ため、これらを[自分たちの歴史の前へつけ加えていく傾向]があります(p.407)。

     

3 日本古代史に「加上の原則」を応用

加上の原則を応用して[例えば大和朝廷と出雲地方との関係]を見ると、大和朝廷側には「日本武尊の出雲建征伐という歴史に近い伝説の形で伝わっている」のに対し、[出雲地方では大国主命の国譲り伝説として残っている](p.407)のです。

出雲地方が大和朝廷に[同化された時に、この大国主命の話が大和へ逆輸入される。しかしその置き場がないので、これは神代の話として、『日本書紀』の神代巻を飾っている]ということになります。[神代の物語は][辺境地方に行われた伝説]なのです。

[そこに神武天皇東征伝説が成立]しました。この[東征の道筋は実はその時代の航路の知識に他ならない。古代の歴史書は同時に百科辞書であった]ということになります。こうやって[日本上古の形成を組み立て]ることが出来るでしょう(以上、p.409)。

それぞれの年代を推定する際、[多少の推測の手がかりを与えるものは、かえって中国の正史に記載されている日本に関する断片的な記録]です。こうしたアプローチによって宮崎は日本古代史の「全体の見通し」を構築しました。正統派の信頼できる歴史です。

       

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