■品詞という概念:漢文と日本語と英語
1 解釈が品詞分類に先立つ
日本語の場合、英語ほど品詞という概念がぴたっと来ません。漢文の場合、もっと微妙な感じがします。漢文では、同じ漢字の形のままに、言葉の働きが違うのですから、あえて品詞を言えば何である、といった感じでしょう。文の解釈が先に来ています。
さらに漢文の解釈が必ずしも明確にいかなくて、多数の解釈が提示されるケースがめずらしくありません。古い時代の漢文になると、解釈に困ることがしばしば出てくるようです。『論語』の注釈書がたくさんあるのも、こうしたことの反映でしょう。
杜甫の詩に「國破山河在 城春草木深(国破れて山河在り 城春にして草木深し)」という対があります。「破れて」は動詞で間違いないでしょう。そうなると対句ですから、「春にして」の「春」は名詞ではなくて、「春になる」という動詞と考えるしかありません。
2 漢文の品詞概念
一海知義『漢詩入門』に、この対句の説明があります。「山河在」「草木深」の「在」と「深」の場合、[日本語文法で言えば、たしかに動詞と形容詞です]が、[ともに物の状態、状況を表す言葉として、共通性を持]つので対にできると説明しています(p.182)。
あるいは「春風」ならば、「春」が「風」という体言を修飾しているので、[広い意味で形容詞]だというのです。日本語に比べても、漢文の場合、かなり品詞の概念がぼんやりしています。漢文では、品詞よりも解釈による文意の把握が優先されると言えそうです。
岡田英弘は『歴史とは何か』で漢文には品詞がないという言い方をしていました。この点、日本語のほうが品詞概念が明確です。しかし、英語と同じように品詞分解が出来るようにはなっていません。漢文と英語の中間的な役割を持つといったところでしょう。
3 品詞の理解こそ印欧語の真髄
英語における品詞の重要性について、『アングロ・サクソン文明落穂集12:伝統文法の「伝統」とは何か』で、渡部昇一が記しています。英語をはじめとする印欧語における品詞の重要性を知ると、日本語とずいぶん違っていると感じざるを得ません。
渡部は[品詞分類に基づいて正確に理解できることこそが、印欧系諸語の本当の特質なのである]と言い、[8品詞(その相当語)の理解こそ、印欧語の真髄を理解することに通ずるのだ](p.111)とコラム(伝統文法の「伝統」とは何か)を締めくくっています。
印欧系諸語においては、正確な理解のために品詞分類が不可欠だということです。この点、日本語の正確な理解のために不可欠なのは、品詞分類ではありません。接続する助詞や助動詞などの検証のほうが、品詞分類よりも正確な理解のためには必要です。
日本語文法において、品詞を前面に出すのは実際的ではありません。しかし印欧系諸語における品詞に該当するものがあるかどうか、確認すべきでしょう。助詞や「です・ます・である」などの語句が、品詞とどう関連づけられるのか、検証が必要となります。