■事実であるかどうかが評価基準

    

1 事実に基づいた記述が不可欠

以前、講義の中で、事実に基づいて話を展開しないと、意味がないというお話をしました。事実に基づかない話では、仮定の話、架空の話になってしまうからです。こんなことは当たり前のことだと思っていましたが、どうやらそうでもないことがわかりました。

事実がベースになります。これをわからずにいると、適切なルールが作れません。思いつきでルールを作ると、守りにくく、あるいは守る気をなくすものになります。ルールは守るためのものですから、守る気になるもの、守る必要を感じさせるにすべきです。

業務マニュアルの作成の話をするときに、事実に基づいたマネジメントをしないと、結局は損するのだという話になります。しかし、これはルール作りに限りません。もっと基本的な問題です。読み書きも事実に基づくかどうかで、判定されることになります。

     

2 小室直樹の示した事例

小室直樹が『日本人のための憲法原論』で、イスラエル人・ユダヤ人の学者に、もし「ヒトラーは疲弊したドイツ経済を救った天才政治家である」と著書に記したら、どう思うかと聞いた話を記しています。歴史的事実なのだから問題ないとの答えだったとのこと。

では「ヒトラーがユダヤ人を皆殺しにしようとしたのは、じつに正しい判断であった」と書いたらどうかと聞いたのです。これに対して、どう評価するかは、あなたの内面の問題であるから批判はしても、弾圧や撤退を求めないと答えたとのこと(p.p.319-320)。

学者の話だそうですから、全員のイスラエル人・ユダヤ人がこういう答えをするとは言えないでしょう。しかしここで大切なことは、事実であるかどうかを重視して判断しているということです。この考え方は正当なものでしょう。判断基準としても妥当です。

      

3 当たり前でないと困る前提

小室は極端な例を出して、事実であるかどうかが基準になることを示しました。こういう相手に伝わる例を出さずに説明したためなのか、以前の講義では、事実を基本にすべきであるという点が、十分に伝わらなかった人もいたようです。反省しています。

大切なのは、記述していることが、事実なのか、解釈なのか、信条なのか、明確にする必要があるということです。自分たちのミッションを明確にしようとするとき、事実に基づいて考えることはあっても、ミッションが事実であるということにはなりません。

事実でなくてはいけない、というわけではないのです。解釈であるならば、解釈の結果がどうであるかも大切ですが、その解釈を引き出す手続きが問題になります。事実に基づいて、こういう事実から、こう解釈できるというのなら、十分に説得力があるはずです。

こんなことは当たり前でないと困ります。しかし日本ではこのあたりがいい加減な本でも、有名な賞を獲得する例がよくありました。最近少しずつ変わってきたようです。文章チェック講座が今月あるため、テキストを作りながら、説明の仕方を考えています。

     

This entry was posted in 方法. Bookmark the permalink.