■魅力的ならば検証を:「騎馬民族説」という仮説

    

1 時代の気分を感じた古代史

学問は進歩するものですから、古い本の場合、しばしばあららということが出てきます。そのことは特別問題にするほどのことはないでしょう。しかしそこから発展した展開を見ると、その影響の大きさに愕然とすることがあります。

ごく最近、1963年に出された『日本語の歴史1 民族の言葉の誕生』を調べる必要があって、手に取りました。本来、気になる部分を探して確認すればよかったのです。ところが、おもしろくてかなりの部分、特に日本の古代史の部分を読むことになりました。

この本が書かれた時代の気分を感じることができた点で、よかったと思います。古代史の部分を誰が中心になって書いたのかは、執筆者一覧を見るまでもなく明らかでした。騎馬民族説が中核になっています。執筆者に江上波夫という名前があるのは当然でしょう。

     

2 かつて魅力的だった騎馬民族説

もはや騎馬民族説を採用する人はいません。しかし、かつて魅力的だった時期があったということです。『日本語の歴史1 民族の言葉の誕生』の「あとがき」で亀井孝が、『日本語の歴史』シリーズの「編述の方策」について書いています。

このシリーズのスタイルは、[各人が各項目について責任をもって書いたものを並べ]たものではありません。[<リライト>と呼ばれる方式]、つまり[編集の母体が、内容にわたってまで主導的な立場をとるやり方](p.422:1963年版)をとっています。

編集委員は亀井孝、大藤時彦(おおとう・ときひこ)、山田俊雄とあります。亀井が中心になったことはまず間違いありません。亀井も当時、騎馬民族説について、原則として妥当だとみなしていたようです。71頁から98頁までの説明は、たしかに面白いものでした。

      

3 魅力的なものほど検証が必要

発表当時も、『日本語の歴史1』でも[<騎馬民族説>は、日本の先史学界で承認されてはいない](p.95)のです。しかし、『騎馬民族は来なかった』で佐原真が言う通り、[万世一系の歴史][を打ち壊す痛快さ、斬新さ](p.220)があったのでしょう。

騎馬民族説を全面的に否定する岡田英弘も、『倭国』で文献を紹介するときに[この魅力的な説には多分に懐疑的である。しかし騎馬民族説を抜きにして現代の日本古代史論を語るわけにはいかない](p.207:中公文庫版)と記していました。

魅力的な見解というものはあります。それが一般に広がると、好き嫌いになりがちです。佐原は先の本で、[江上波夫さんの仮説は、学界からは批判されながら一方では一般市民の間に広く受け入れられていきました](p.219)と書いていました。

私たちは知らないうちに、論理よりも、魅力とかロマンとか、あるいは明快・斬新・シンプルといったものに影響を受けやすいということでしょう。たいていのきっかけは、そういうものです。魅力的なものほど検証する必要があると、あらためて思いました。

      

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