■国語教育が成功しない理由:渡部昇一と森岡健二との対談から

     

1 ラテン語からの独立

国際情勢の大枠を洞察した言葉を読むと、前世紀にすでに現在の情勢の大枠を示唆していたことがわかります。そうした珠玉の分析が本物であると気がつくのには、それなりの時間が必要でしょう。しかし発表当時から、その言葉が光っていたことも確かです。

言葉に関する大切な対談があったはずだと思い出しました。渡部昇一対談集『さまざまな現代』にある「社会・文化・言語」という森岡健二との対談です。渡部昇一が『英語学史』を出版した後の対談で、「ソフィア」1976年冬季号に掲載されたものでした。

渡部は[近代における英語研究を促したのは宗教改革だと思います。ローマ教会から独立したのであるから、ラテン語からも独立すべきである、ラテン文法があるのだから、英文法もなくてはおかしい]と考えて[人為的に学者が作り出した](p.97)と指摘します。

      

2 シンタックスの中に外来語を入れるプロセス

対談の相手の森岡健二は「国語学」の先生でした。そのため話が日本語へと自然に流れます。森岡は[日本でも明治の中期までは、外人の教授が英語やドイツ語の講義をしていました]が、明治27年に[上田万年博士が教授になっています](p.122)と指摘します。

[講演録を見ると、術語は多くの外国語を用い、それを日本語の構文の中に織りまぜて講義していた](p.122)とのこと。この時代に日本語で講義がかろうじてできるようになったようです。その後、学問を十分に講義できるだけの日本語が整備されていきました。

渡部は[自国語が弱い国では、自国語のシンタックスの中に外来語を入れるというプロセスができない]と指摘します。[日本語の場合は、漢文を読む下すやり方が確立しているので、外来語がいくら入ってきても恐くないのです](p.114)と言うのです。

      

3 一番の基本は文法の体系化

森岡は戦後の国語教育を一筆書きをしています。[戦後、日本の国語教育にはアメリカの経験主義が入ってきて、とにかく経験させれば言語の力がつく]と考えて、シナリオを書かせたり[何でもかんでも言語経験をさせ]たようです(pp..124-125)。

しかし[教室では実際の経験はできませんから、これは無意味]でした。昭和20年代には[話し方教育、聞き方教育も導入され]、30年代になると[国語教育はもっと系統的、体系的になされるべきだとして、文法教育が行われるようになりました](p.125)。

当然ながら[文法自体がそれに対応できるように体系化されていないので、これも失敗]します。[そこで結局、文章の主題をつかむ、構成を考える、段落を踏まえる、といった国語教育になったのです](p.125)。これでうまくいくはずはありません。

森岡は言います。[文字とか単語とかもっとも基本的なことを分解的に教えるのをおろそかにしてきた、無駄の多い教育が戦後の国語教育だと思います](p.125)。日本語の文法が体系化できていないために、一番基本となるべき教育がなされなかったのでした。