■定義の仕方と一般用語の使用

1 「…ではない」という概念

先日、補足語のことを書きました。補足語などという用語は知らなかったからという人がいらっしゃって、どんなものだろうと思って読んだとのことです。よくわからなかったということでした。文法なんて関係ないという人ですから、ごもっともなことです。

しかし定義の仕方について、もう少し踏み込んで語っておくほうがよいなあという気になりました。例えば選挙権という用語なら定義できるはずです。ところが選挙権を持たない人たちをどう呼ぶのか、特別な用語があるのか、知りません。ないような気がします。

知人に確認してみましたが、被選挙権は違うものね、そんな言葉、知らないなあ…とのこと。ちょっと安心しました。こういうときに、選挙権を持たない人のことをどう呼ぶのが適切なのか、専門家たちが何種類もの呼び方を提示するようになったら困ります。

      

2 全体概念の明確性が問題

補足語の定義の仕方は、選挙権を持たない人たちに名前をつけたようなものだと思います。少なくとも西田太一郎『漢文法要説』における「補足語」の説明は、定義を明確にせずに、主要要素のうちで主語でも述語でもない重要な語句というものでした。

ある概念を正面から定義できるものがある一方、明確に定義できる領域を、全体から除外した概念であるという説明の仕方も可能でしょう。この場合、全体概念の明確性が不可欠な条件です。この点、補語であれ補足語であれ、全体概念の明確性に問題があります。

先日の【「補足語」という文法用語:筋道の立てかた】で、補足語の概念の示し方が「…でないもの」という形式であると指摘したつもりでした。必須要素というものが明確になっていないときに、こういう定義の仕方をされても、しっくりこないということです。

       

3 一般用語を活用する意味

小西甚一は『古文の読解』で、[文法学者たちは、めいめい勝手な術語を使う](p.195)と指摘していました。これ自体は、よろしいことではありません。けれども、そんなの気にしなくていいのだと書いています。それが「太っ腹文法」です。

大切なことは、[筋道の立て方を学んで]いく点にあるという指摘でした(p.195)。筋道の立て方こそ、学ぶべき重要ポイントになります。この点からすると、文法用の専門用語を使うよりも、一般用語の中に適切な言葉があるならば、その方がよいかもしれません。

文法における用語の概念は、明確になりにくいものです。ある程度の明確性を持った概念を示す言葉を選んで、そこに何らかの確認手段を加えれば、それが適切な用語になりえます。「ある程度の明確性」をもつ一般用語を利用するのは、検討に値することです。

     

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