■自己表現の訓練が必要な日本人:鈴木孝夫『日本人はなぜ英語ができないか』から

     

1 日本中心の教材が必要

鈴木孝夫が『日本人はなぜ英語ができないか』で面白い話をしています。中国のロシア語教科書の話です。もうすでに何年も前のお話ではありますが、それに対する鈴木の反応も含めて、なかなか興味深いものでした。中国人はどんな教科書で学んでいたのか?

▼教科書は『毛沢東語録』のロシア語版が中心で、そのほかには、人工衛星から肉眼で見える地球上最大の建造物は万里の長城だとか、中国の国土の広さ豊かさ、歴史の古さといった、要するに中国はいかに偉大で素晴らしい国かといった事柄が、ロシア語学習の教材として取り上げられていて、肝心のロシアについては、殆ど何も学んでなかったのです。 p.29 『日本人はなぜ英語ができないか』

鈴木は[この話を聞いて私は思わず心の中で万歳と叫んでしまいました。なんともうれしかったからです](p.29)と記しています。かねてから、日本人が日本について発信するために、英語の教材を日本の事柄を中心にまとめるべきだと主張していたからでした。

      

2 他律型文明から自律型文明への転換

鈴木が英語教材を日本中心の内容にすべしと主張したのは1970年代からだったようです。こうした認識を持った背景は、どんなものだったのでしょうか。鈴木自身が同じ本で論じています。他律型文明が自律型文明に変わったという主張です。

▼日本が一つのまとまった国として、外国と正式の交流関係に入ったのは、西暦600年に、隣国の隋に遣隋使を派遣したときとされています。そしてこれ以後約千四百年もの間、ということは第二次大戦終結後およそ二十年たった1964年、東京でオリンピックが開かれるまでの日本と世界との関係には、一貫した大きな特徴がみられます。 p.76 『日本人はなぜ英語ができないか』

大きな特徴とは[最初は隋そして唐、次いで英独仏三国をひとまとめにした西洋、そして最後が戦後のアメリカ]という[光り輝く目標に向かって、全国力を結集してそこから学べるものすべてを学んで、消化吸収に努めた]他律型文明だったということです(p.76)。

     

3 自己表現の訓練が必要

鈴木の主張はもうおわかりでしょう。[日本の歴史や文化、そして平素日本で見聞きする様々な事柄を英語で言い表すという、日本人としての自己表現の訓練は全く受けてこなかった](p.106)。教材を日本中心のものにしなくては発信できませんよということです。

自律型文明になった日本を自覚すること、そして今後は世界に向けて発信することを考える必要があると鈴木は考えたのでした。鈴木自身、[自分としてはよく知っている日本のことが、さっぱり英語にならないというこの苦い経験](p.106)をしていたのです。

ただし…という限定がつきます。[私はすべての日本人にとって、何よりも大切なことは、学校教育でもっと日本語に力を入れることだと思います。外国語の問題はその次に考えられるべきです](p.48)とのこと。自己表現の基礎になるのが日本語だからです。

     

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