■日本語文法に必要なもの:英語における「5文型」

   

1 科学文法と学校文法

先日、日本語の文法の話をしていたら、文法の勉強などしたくないという率直な話をしてくださった人がいました。文法の勉強をしても、文章の読み書きに役立たないからだということです。現在出されている日本語文法の場合、その通りというしかないでしょう。

それでこんな話をしました。文法を学んでも、読み書きに役立たないというのは、日本語の文法に限らないかもしれないということです。『学習英文法を見直したい』所収の「学習英文法への期待」で安井稔は書いています。

▼現在、科学文法のほうが学校文法よりも優れていると考える人は、もはやいないでしょう。両者は、互いにその達成すべき目標を異にしているからです。
すなわち、いわゆる科学文法は、言語の正確で簡潔な、しかも包括的な記述を意図しているのに対し、学校文法のほうは、入門期における英語学習者の学習効率が最大になることを意図して組まれているものだからです。 p.268 『学習英文法を見直したい』

      

2 「5文型」が存在しない日本語文法

英語における学校文法で中核になるのが、5文型です。5文型を使うと英語の構造が見えてきて、英語を分析したと感じられます。いつくか問題点があるようですが、その修正が必要だとしても、こうした基本文型によるアプローチは必要でしょう。

英語の学校文法における5文型にあたるものが、日本語の場合、存在しません。日本語文法の本を購入した人は、それを読んでも日本語が正確に書けるようになるとは思わないでしょう。読みに関しても同じです。日本人が読む日本語文法では、そうなります。

外国人向けに日本語を教える本も出されていますが、それらが日本人にとっての「学校文法」にはなりそうもありません。英語と日本語を学んできた優秀な留学生の中には、日本語には英語のような文法がないという人がいます。もう一度考えないといけません。

      

3 標準形という意識

日本語の場合、漢文の訓読形式を発展させたところがありますから、漢文の影響を大きく受けています。 加地伸行が『漢文法基礎』で書くように、漢文では[矛盾した話であるが「あまり出てこない例外がよく出てくる」](p.469)のです。

漢文における標準形と違った例外の形式として代表的なのが、倒置による強調だと、加地は記しています。この形式は、日本語でもあるでしょう。「文法はもう嫌だ」という文があっても、何らおかしな文だと感じません。標準形でないという意識もないでしょう。

文の主体が記述されていないのは、日本語では例外とは言えませんし、そうなると標準形でないとも言いにくいのです。しかし学校文法では、文の主体に「は/が」をつけるのが標準形だと教えていました。この文では「主語」が「文法は」ではありません。

文末の主体は明確でしょう。「嫌だ」というのは「私」です。「私は文法はもう嫌だ」でも通じます。ただし標準形が「私は文法がもう嫌だ」という形式だと知っていることが必要です。最初に出てきた人に、日本語に5文型がないのが問題だよねと答えたのでした。

       

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