■日本語を近代化させた心情と日本語文法の関係

    

1 簡単にいかない実態のルール化

日本語の文法を考えるとき、現在の文章がどうあるのか、そのあり方、その実態だけをもとにしようとする考え方があります。通説なのでしょう。しかし簡単なことではありません。日本語文法で言う「活用」という現象をどう考えるかさえ、不安定です。

形容動詞という品詞が存在すると学校文法では考えていました。外国人向けの日本語教育をおやりになる人たちは、イ形容詞とともにナ形容詞という形容詞があるという前提で教えています。一方、小松英雄のように形容動詞という品詞を否定する人もいたのです。

しかし小松英雄が心から敬意を表している飛び抜けた言語学者であった河野六郎は、形容動詞があるという前提で『日本列島の言語』の「日本語(特質)」を書きました。この論文を小松は『日本語はなぜ変化するか』で必読と勧めています。簡単ではありません。

   

2 日本人の心情を考慮

モノの見方は単純には行かないようです。そうなると、日本人の心情がどうであったのかということになると、もっと見解が分かれるのかもしれません。日本が置かれていた立場、そのときの心情がどうであったかなど、日本語文法に関係ないとされるのでしょう。

しかし1840年の阿片戦争は、日本人に影響を与えないはずはありません。1858年に結んだ安政の5か国条約は不平等条約でした。さらに明治維新後に、ベトナムなどがフランス領になっています。強い危機感があったはずです。

日本の結んだ不平等条約が撤廃され、改正されたのは1911年でした。日清戦争、日露戦争後までかかっています。明治政府にとって、不平等な条約を解消させることが最重要課題だったはずです。欧米列強と対等な関係になるように努力する必要がありました。

     

3 文章ルールに価値意識が反映

メッケルが来日したのが1885年、大日本国憲法が施工されたのが1890年、夏目漱石が『吾輩は猫である』を書いたのが1905年です。日本語も、大急ぎで近代化・現代化を進めていきました。大いなる成果が漱石の文章だったというのは、もはや疑いのないことです。

しかし1934年、谷崎潤一郎は『文章読本』で、西洋の学問を日本語でやるのは無理があると書いていました。言葉はそんなに簡単に変りません。それから半世紀近くかかって、日本語で全ての学問が出来るようになったのです。ずいぶん早いスピードでした。

原動力となったのは、日本語を近代化させたいという心情だったでしょう。日本語を簡潔で的確な言語にすること、論理的な記述ができるようにすること、こうした意識が強烈にあったはずでした。日本語で全ての学問ができるようにしたかったでしょう。

どうありたいかという意識が、ものごとの変化を促し、変化の方向を規定します。欧米言語で記述できることは、日本語でも記述できるようにすること、そのために簡潔・的確で論理的な表現が価値になったのです。これが文章ルールに反映しないはずありません。

      

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