■連載「現代の文章:日本語文法講座」のひと区切り

      

1 30回目の連載「現代の日本語の文章の登場:その目的・目標・手段」

「現代の文章:日本語文法講座」の連載が中断していました。HPのプラットフォームにつかっているワードプレスが不安定なのに気がついて、ここ数か月、専門家とやり取りをしています。とても有意義なことですが、連載が中断してしまったのは残念でした。

ちょうど30回目ですので、総論を書くことにして、ひと区切りとします。日本語が近代化された目的は何か、目標は何か、そのための手段はどうだったのか、こうした点を見ておきたいと思いました。日本語の近代化の経緯から、日本語文法を考えたいのです。

少し長くなりましたが、日本語文法の通説的な見解に賛同できない理由も、ここにあります。以下が、30回目の連載です。■現代の日本語の文章の登場:その目的・目標・手段

      

2 日本語近代化の目的

日本語を近代化させなくてはならないのは、明治維新の経緯とおなじでしょう。文明開化、殖産興業、富国強兵といった言葉を見れば、日本を近代国家にして、独立を保って発展させる必要がありました。そのとき日本語の近代化は不可欠なことです。

司馬遼太郎が1883年に招聘されたメッケルの言葉を伝えています。「軍隊のやりとりの文章は簡潔で的確でなければならない。日本語はそういう文章なのか」と尋ねたそうです(『司馬遼太郎全講演[2]』朝日文庫 p.388)。そうではありませんでした。

岡田英弘が言う通り[日本語の散文の開発が遅れた根本の原因は、漢文から出発したからである]、漢文の[訓読という方法で日本語の語彙と文体を開発したから、日本語はいつまでも不安定で、論理的な散文の発達が遅れた](p.314:『漢字とは何か』)のです。

      

3 近代的な日本語散文の目標

簡潔・的確に記述できる日本語、論理的な日本語が必要でした。20世紀に入って夏目漱石が登場します。『吾輩は猫である』は1905年の作品です。近代的な日本語の基礎ができます。しかし1934年、谷崎潤一郎は『文章読本』に、以下のように書いているのです。

▼たゞこゝに困難を感ずるのは、西洋から輸入された科学、哲学、法律等の、学問に関する記述であります。これはその事柄の性質上、精緻で、正確で、隅から隅まではっきりと書くようにしなければならない。然るに日本語の文章では、どうしてもうまく行きとどきかねる憾みがあります。  (『文章読本』 中公文庫:p.69)

日本語が目標としていたのは、まさに[西洋から輸入された科学、哲学、法律等の、学問に関する記述]ができることでした。[精緻で、正確で、隅から隅まではっきりと書く]ことができる日本語が必要です。簡潔・的確で論理的な文章ということになります。

     

4 日本語近代化の成果

近代的な散文を作るため、[十九世紀になって、文法構造のはっきりしたヨーロッパ語、ことに英語を基礎として、あらためて現代日本語が開発されてから、散文の文体が確立することになった](p.314:『漢字とは何か』)と岡田英弘が記す通りです。

こうして20世紀に日本語は近代化され、成熟化されてきました。「学問に関する記述」も21世紀になるまでには、可能になったのです。国際的に通用する学問が日本語でできるようになりました。日本語の近代化に成功したのです。佐藤優は以下のように語ります。

▼シンガポール国立大学とか、中国の精華大学では、国際金融や物理学の授業は英語でやっていますが、それには歴然とした理由があるんです。グローバル化の影響では決してありません。英語のテクニカルタームや概念を、中国語のマンダリン(北京語)に訳せないからです。つまり、知識・情報を土着化できていない。その点、日本語で情報を伝達できる力というのは、日本が誇れる資産であり、長年の努力の成果だということを、再認識すべきですね。 p.66 『悪魔の勉強術』(文春文庫版)

現代の日本語はもう十分に成熟しているのです。使いこなすルールが必要になります。社会人が身につけるべき日本語のルールを提示したいと思います。通説的な文法では使えません。目的・目標に合致したシンプルなルールについて、今後、書いていきます。