■「主体」と「主題」どちらが上位概念なのか:日本語文法の基本的問題

       

1 記述の有無でなく、わかるかどうか

日本語のセンテンスでは、文末に叙述が来ます。そのセンテンスの主体について、文末で記すのが大原則です。このとき、文脈から主体がわかる場合、記述しません。わかりきった主体を、あえて記述する場合、その主体を強調した感じになります。

わかるなら記述しなくても不都合はありません。記述するしないよりも、わかるかどうかが問題です。これも日本語を読み書きするときの大原則といえます。しかし何らかの指標が欲しいと感じる人がいるようです。そのとき、助詞「は」は便利なのでしょう。

『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』という本を金谷武洋が書いています。[助詞の「は」は、日本語の「スーパーてにをは」なのです](p.162)とのこと。「は」がつく[主題が句読点(つまり「、」や「。」です)を超える](p.162)からだというのです。

     

2 文脈依存の主題概念

金谷は「この本は、タイトルがいいので、すぐ読んだが、面白かった。」という例文をあげています。「この本は」という主題が、「この本のタイトルがいいこと」「この本を読んだこと」「この本が面白かったこと」というバラバラな内容に係っていけるとのこと。

例文はあまりよろしくない日本語です。さらに文脈に依存しすぎた例文というべきです。別の事例が思いつきます。≪『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』について≫という題のあとの文章の冒頭に置かれた場合、同じ内容でも違った書き方になるはずです。

たとえば「タイトルがいい。すぐに読んだ。じつにおもしろかった。」となります。「この本は」という主題は消えてしまいました。しかしこの書き方で、すべての主体がわかるでしょう。「この本は」を記述しないほうが、かえってすっきりした文章になります。

      

3 主体が上位概念

もう一つ金谷があげた例文「そのりんごは、すぐ食べなかった。まだここにあるよ。」も、[文法関係が「そのりんごをすぐ食べなかったこと」と「そのりんごがまだここにあること」では全く違うこと](p.164)なのに、主題が特別な役割をしているそうです。

しかし「そのりんごは」の「、」や「。」超えというのは、どうにも不明確なものといえます。例文を変えて「あのりんごが美味しくてね。入手できて大喜びですよ。」としたら、「あのりんごが」が「。」を越えたことになるのでしょうか。よくわかりません。

外国で日本語を教えている人たちには、記述されたことに基づいて説明しようとする傾向があるようです。外国人向けの入門講座ならば、極端なほど「は」に依存した説明でも、方便として成り立つのかもしれません。しかし日本人向けの文法としては失格です。

助詞「は」が[日本語の「スーパーてにをは」]というのは、幻想にすぎません。主体につく代表的な助詞が「は」「が」というだけです。主体が上位概念になっています。「は・が」は主体の目印になるとともに、主体の特徴を規定する助詞だということです。

     

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