■助詞「と」の用法:「大阪へと向かう」の「と」は?

       

1 助詞「と」がつく場合とつかない場合

日本語文法の忘れ物について、私たちはあるとき、その実例に出会うことになります。言われてみると、たしかによくわからないということがあるものです。たとえば多田道太郎『日本語の作法』に、こんな話があります。日本語文法では説明していないようです。

▼私といっしょに中原中也を読んでいるフランス人のアリウー氏(現トゥールーズ大教授)は、某日、思いつめたような表情で私のところへやって来た。「大阪へ向かった」と「大阪へと向かった」のちがいはどうか、というのである。「と」の意味を、いろんな辞書に当たってみたが、どうしてもわからないと言う。私もしばらく、彼の辞書探索を手伝ったが、徒労であった。 p.80 『日本語の作法』 朝日文庫版

助詞「と」がつくのと、つかないのとで意味がどのように変わるのでしょうか。この「と」は、どんな役割を果たしているのでしょうか。通説的見解では、きれいに説明できでいないようです。構文が関わってきますから、違うアプローチが必要でしょう。

      

2 「と」は並列して関連づける

助詞「と」がつくと、ニュアンスが変わる事例を私たちは知っています。(1)「昨日、彼は新宿駅で先生に会った」と(2)「昨日、彼は新宿駅で先生と会った」の違いはどうでしょうか。「先生に」ならば偶然か約束してかは不明、「先生と」ならば約束しています。

(1)の場合、主体の「彼」が会ったのは、先生という対象者でした。「先生に」+「会った」となります。ところが(2)の場合、「と」が問題です。助詞「と」は事項を並列して、それらを関連づけます。しかしここでは「先生」と「会った」が並列するのです。

「AとB」の並列ならば、わかりやすいでしょう。「AとBを足す」ならば「A・B…+」となり「A+B」、「AとBを掛ける」ならば「A・B…×」だから「A×B」です。一方、「Aとどうした」の形では、Aが文末に結合することになります。

      

3 「向かう場所」と「向かう行為」の一体化

「昨日、彼は新宿駅で先生と会った」の場合、主体の「彼」が行ったのは「先生と会った」ことです。「先生・会った」が一体化されるなら、偶然でなく意図してなされた行為になります。そのため「先生と会った」とあれば、約束して会ったと感じるのです。

このように「Aとどうした」の形では、「A・どうした」が一体化して、「Aとどうしたという行為」になります。「大阪へ向かった」ならば、文末は「向かった」ですが、「大阪へと向かった」の場合、一体化して「大阪へと向かったという行為」になるのです。

「大阪へ向かった」なら「誰それは、向かった」「どこへ?」「大阪です!」という関係ですから、「大阪」は客観的な事実にすぎません。「大阪へと向かった」の場合、単に向かったのではなく、行為が大阪と一体化され、大阪以外に向かうことを排除するのです。

       

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