■言葉の変化と運用能力、そして「正しい日本語」とは:小松英雄『日本語はなぜ変化するか』から

    

1 類推による言い誤りが動因

日本語は時代とともに変化してきました。その変化は、どのように起こったのかという現象のことよりも、その変化の要因がどうであるかが気になるところです。この点に明確に答えたのが小松英雄でした。『日本語はなぜ変化するか』に記されています。

[新しく形成される表現の多くは、類推による言い誤りに起因している]というのが小松の考えです。[ヒョウタンから駒というのが言語変化のカラクリである]と言えます。もちろんですが類推による言い誤りがすべて変化をもたらすわけではありません。

類推された言い方が誤っていても、そのとき[相手がその表現を即座に理解し、自分もそういう表現をしたかったのだと感じる場合]があり得ます。その場合、[誤って選択された回路が運用効率を高めると評価される]のです(以上、p.215)。

     

2 言語体系の不安定要因

小松の見解の根底には、言語がすべて最適化されているわけではないという考えがあるのでしょう。[いつの時期のどの言語にも多くの不安定要因が潜在しており、言語体系は微妙なバランスの上に立っている](p.229)と記しています。

微妙なバランスという点を、小松は[現在の体系では、メリットの方がデメリットを上回っているだけ]という言い方で相対的な存在と見ています。つまり、いつの時代でも、すべての言語が[理想的であると手放しには言いがたい]存在だということです。

そのため類推によって誤った言い方をしても、それがメリットの大きな言い方になる可能性があるということになります。そういう言い方がよいと感じる人が多くいれば、その言い方が言語変化をもたらす要因になるということです。当たっている気がします。

     

3 「正しい日本語」とは

小松は、言語変化の要因として言葉の運用効率を重視しています。日本語を使う人たちが運用効率のよい言い方に言葉を変えていくという考えです。そうなると、日本語がどういう方向に進むかも、ある程度見えてきます。シンプルになることは確かです。

シンプルということは、簡潔で的確な言い方になるということでしょう。簡潔でありながら正確に伝わるということが、運用効率がよいということの実質的な条件になります。このことは、日本語の変化だけでなくて、運用の変化ということにも通じるはずです。

小松の考えにそっていくと、複数の言い方がある中で、運用効率のいい言い方を選択していくことが日本語の進んでいく方向になります。これは相手しだいの多様性のあるものです。それが「正しさ」「正しい日本語」になります。小松は以下のように語るのです。

▼正しい日本語が客観的かつ固定的に存在するわけではない。相手に抵抗を感じさせないのが正しいことばづかいであり、とりもなおさず正しい日本語である。相手しだいで、いくとおりもの正しい日本語があり、その場に応じてそれらを適切に使い分けるのが言語運用の能力である。 p.241 『日本語はなぜ変化するか』

    

★上記の内容がわからないという人がいたので、別のアプローチから説明したのが以下です。

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