■なぜ孔子は馬を問わなかったのか:『論語』郷党第十「厩焚 子退朝 曰 傷人乎 不問馬」

      

1 馬のことを問わなかった孔子

『論語』の文章には簡単に解釈できない章があります。解釈にさまざまな説があって、ある意味、そこが魅力の源泉になることさえあるでしょう。その一方で、読み方にほとんど争いがない場合でも、章の解釈に違いが生じることもあります。

▼厩焚(ウマヤヤ)けたり。子朝(チョウ)より退いて曰く、人を傷(ソコナ)へりやと。馬を問はず。

『論語』郷党第十の章です。「馬を問わず」で知られています。読み方と解釈は多くが一致しています。「孔子の留守中に馬屋が焼けたとき、孔子は人にケガはなかったかを聞いたが、馬のことは問わなかった」という意味に解するのが通説です。

こうした意味だという点に大きな争いがないものの、内容に対して何となくしっくりこない感じがします。人のことを聞いたけれども、馬のことを聞かないのはヘンではないかという感じ、馬のことを聞かないのは、孔子に問題があるような気になるのです。

      

2 馬を問うたとする解釈は少数派

この章に対して、宮崎市定は特にコメントをつけていません。吉川幸次郎は[「人を傷つけたり乎不(ヤイナ)や」と問うたのちに、馬のことをも、たずねた]との解釈があることを紹介した上で、[この読み方は祖述者が少ない]と記しています。

面白いのは平岡武夫の注釈です。[「人を傷なへりや」という孔子の言葉で文章を止めておけばよいものを、記録者が余計な注釈をつけたために、却って動物愛護の精神を疑われることになった。孔子は迷惑である](p.281)とあります。

なんで馬を無視したのか、かわいがる気持ちがなかったのかという、もやもやした感じが残るのです。それならば吉川が紹介する、人にケガはなかったかと聞き、そのあとで馬のことを聞いたと解釈したいところですが、しかし賛同者は少数とのことでした。

      

3 責任問題を避けるための行為

孔子がなぜ馬を問わなかったのか、この点について一番納得できる解釈を示したのは『新釈論語』(1947年刊)の穂積重遠(シゲトオ)です。[まず人を、次に馬を、と解する人があるが、それは考えすごしだ]と記しています。では、なぜ馬を問わなかったのか。

[責任問題の起こることを避ける意味で馬を不問に附されたのだ、と解したい](pp..263-264)と穂積は言います。昭和24年12月28日、小金井の東宮仮御所が全焼したそうです。殿下の留守中のことで[お身の回りの品品何一つ取り出せなかった]とのこと。

▼その時とっさに胸に浮かんだのは、『論語』のこの一節で、このことが葉山に急報されたとき殿下が何とおっしゃるだろうかということであった。ところが後に承ると、その時、殿下は「人にけがはなかったか。」とおっしゃったきりであられたよし。さすがはと感激したことであった。 p.264 『新釈論語』講談社学術文庫

今まで、何となくもやもやしていたものが、穂積『新釈論語』で解消されました。一度この解説を読むと、この章は「馬を問わず」でなくてはならないし、これが抜けていては意味がないとさえ思えてきます。穂積重遠は1951年に亡くなった民法学者でした。

     

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