■現代の文章:日本語文法講義 第27回「文の本質」から

    

*連載本文はこちら

     

1 通用しない通説の説明

①「月はきれいだ」と②「月がきれいだ」について、原沢伊都夫が『日本人のための日本語文法入門』で解説しています。[「~は」は主題を表し、「~が」は主語を表しました。両者の文法的な役割は徹底的に違ってましたね](p.150)とのことでした。

原沢のイメージした状況によると、①は[「月」の一般論を述べている場面]であり、[誰でも知っているごく身近な存在]の[「月」を話題にして、「きれいだ」と説明している文]になります。[一般論を述べている]のです(pp..151-152)。

②は[月が見えるところで、その月を眺めながら発した言葉]であり、[話し手が自分の見たままをそのまま聞き手に伝えること]がこの文の特徴だいうことでした。[ありのままに提示するので、主題化はおこなわれない]という説明になります(p.152)。

しかし「③ 彼女はきれいだ」になると、主観的なニュアンスが加わり、一般論とは言えません。また「④ 月はきれいだった」にすると観察に基づいた文と感じるでしょう。主題・主語の概念も含めて、常識的な日本人にはとうてい通用しない説明です。

     

2 3つの問題

例文をめぐって、通説的な説明が通用しないのは、(1) 主題の概念が明確になっていないため、(2) 主体の扱いが妥当でないため、(3)「は/が」の違いの説明がズレているため…でしょう。基礎概念がおかしければ、具体的な例文の解説もおかしくなります。

2つの例文の違いは、助詞「は」と「が」の機能の違いにすぎません。片方が主題で、もう片方が主語だという区分は無意味です。例文を見ると、同じ文末に対してともに主体になっています。主体とされる対象が、どんな存在として扱われているかが問題です。

「月は」の場合、月が特定された存在で、その月に限定して述べています。その他は関係ないので、絶対的で客観的なニュアンスをもちます。「月が」ならば、選択肢から月を選び出して決定していますから、その結果、相対的で主観的なニュアンスをもつのです。

      

3 主題概念の問題点

主題の概念は、どういうものでしょうか。(1)「~について言えば」を表す内容であり、(2)原沢によれば[その文のなかで話者が特に話題の中心として聞き手に伝えたいもの](p.38)であり、(3)「~は」が接続するものということになりそうです。

「明日の会議ですが、中止にします」の場合、通説ならば主題なしなのでしょう。しかし「明日の会議」とするのが自然です。あるいは「彼のご両親に関して、詳細はお聞きしていません」の主題は「彼のご両親」だと感じます。通説なら「詳細は」かもしれません。

助詞「は」の接続の有無で主題かどうかを判定すると、自然な感覚とずれてきます。英語でも、主題(シーム)と解説(リーム)の構造を使いますが、文法構造とは別に、情報の流れを見るものとして使われるのです。上田明子は『英語の発想』で記しています。

▼主語・述部の別と、シーム・リームの別という2つの区分をつくることで、文法的に文を扱っているのか(主語・述部)、あるいは情報の流れを扱っているのか(シーム・リーム)の区別ができます。 p.101 『英語の発想』

日本語文法の主題の概念は使えません。日本語文法には、主体を重視した体系が必要になりそうです。助詞「は/が」も、対象の存在をどう捉えるかという観点から、もう一度見ていく必要があると思います。大切なことは、使える文法をつくりあげることです。

     

カテゴリー: 日本語 パーマリンク