■歴史の見方のエッセンス:『歴史から今なにを学ぶか』の渡部昇一

    

1 哲学者ヒュームの『英国史』

『歴史から今なにを学ぶか』にある渡部昇一の「私の考える歴史、そして日本人」は注目すべき講演録です。歴史についての考え方のエッセンスがここで語られています。渡部はデービッド・ヒュームを取りあげて、歴史の見方を語りました。

ヒュームは[イギリスの哲学者では一番偉いことになっていて、その思索力では並ぶものがない]と評価されます。[それだけ頭の鋭いヒュームが、究極的に証明したのは、“人間の思考はとことん考え詰めると役に立たない”ということ](P.17)だというのです。

つまり[知性や理屈だけで考えていたのではとてつもない間違いを起こすかも知れない][人間が哲学的にどんな立派なことを考えても、あてにならない][人間のこんなあてにならない知性にすべてを委ねることはできない](P.19)と考えたのです。

ヒュームは[晩年、哲学をやめる。そして何をやったかというと、『英国史』を書き始めた]のです。歴史は理屈に合わないものです。[英国史という、理屈では箸にも棒にもかからないものをやった](P.19)ことになります。そうする意味があったのです。

      

2 国の体質に合うかどうか

ヒュームは英国史を書いて、[人間の理性というものは、いかに歴史において無力であり、なんの役にも立たないか、そして、よかれと思ったことがなんと悪い結果を生むものであるか](P.20)を示したのでした。ここからヒュームは何を学んだのでしょうか。

ヒュームはスコットランド育ちなので、[17世紀のクロムウェルによるピューリタン革命への反省がより深かった]ようです。[チャールズ一世を処刑し、イギリスに理想郷を建設しようと革命を遂行]した結果、[恐怖政治にな]り王政に戻りました(P.20)。

ヒュームは歴史の現実を見て、[人間の理屈をこねる能力というのは、精密であればあるほど危いものだという教訓を得るのです]。そこから[“コウスティチューション”つまり「国体」という概念を引き出します](PP..20-21)。「国のかたち」のことです。

この点、[イギリスの国体というのは、1215年のマグナ・カルタ以来、長年かけてだんだん作りあげてきたものであって、これに合わないのはよくない。理屈はどんなにりっぱでも、この国の体質に合わないものはまずい](P.21)と『英国史』で説いたのでした。

      

3 フランス革命を予測したヒューム

ヒュームは1711年に生まれ、1776年に亡くなっています。1789年のフランス革命を知りませんが、[彼はフランスに革命が起こるだろうということを感じ、しかし、理屈でやるからダメだろうと予測しています](P.22)。ヒュームの歴史の見方は正しかったのです。

王政を倒したら、内乱でフランス人の殺しあいが起きます。共和国が運営できなくて、ナポレオンの帝政が成立。しかし戦争で100万人以上のフランスの青年が死に、ナポレオンは失脚します。しかし成立した共和国はダメになって、ナポレオン3世が現れるのです。

▼人間の頭では未来を予測するような大プログラムなんかできっこない。だからだいたいこういうふうに行こうと大筋をきめて、逐次修正してゆく。そして具体的にいいものを守ってゆく- これが一番いいやり方であるというのが、最も緻密な哲学的頭脳の持ち主であったヒュームが、歴史によって示した一つの教訓であろうと、私は思うのです。 P.25 『歴史から今なにを学ぶか』

このあと渡部は日本の場合を語っています。ここから先は各人が歴史の本を読みながら考えていくことも出来るでしょう。ヒュームを解釈した渡部の歴史の見方は重要な視点を示しています。歴史を見るときのフレームとして、大切にしているものです。

      

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