■木田元の勉強法・記憶術:『新人生論ノート』から

      

1 考えることは簡単なことではない

木田元は哲学の学者として、田中美知太郎の後、圧倒的な存在の人でした。たくさんの魅力的な文章を書いています。夏バテ気味で、寝ている時間が多かったので、ふと思い立って『新人生論ノート』を読み返してみました。ああ、そうだったという思いになります。

[私たちのように西洋哲学の勉強をしてきたものにとっては、語学の勉強が不可欠である。英独仏の三つの近代語とギリシア語とラテン語の二つの古典語が読めなければ仕事にならない](p.42)ということです。簡単なことではありません。

さらに[自分自身の体験から、<考える>ということがそう簡単なことではなく、かなり特殊な訓練を必要とするものだということを知っていた]と記します。[黙って眼をつぶれば、ひとりでに何かを考えられるといったものではない]のです(p.135)。

      

2 考える力を養う方法

木田は[<考えることができる>といっても、そう高級なことを言っているわけだはない]と記します。[当面は][きちんと筋の通った論文を書くことげできるようになるといったくらいのことである][最低限これができなければ話にならない]とのこと。

考えることができるのなら、きちんとした論文位は最低限書けるということです。では、[そうした力を養う方法はあるのだろうか。あるのだ]と言います。この方法は、木田元の本で読んでいたのかと驚きました。もっと前に聞いた記憶があるので不思議です。

▼よく考え抜いて書かれた本を一行一行読んでいきながら著者の思考を追思考する、つまり著者の思考をなぞって考えていくというやり方だ。私自身の長い体験からして、よほど特殊な能力の持ち主でない限り、考える力を養うには、これ以外に方法はない。 p.136 『新人生論ノート』

木田は学生向けの読書会を行い、読み手をやらせ、次に翻訳を書かせるそうです。口頭で読めても[紙に書かせると、最初はたいてい小学生の作文のような文章を書いてくる]。これを何度も添削していくと[翻訳の下訳をできるくらいにはなる](p.138)そうです。

    

3 お手軽方式ではモノにならない

添削をしてモノになるのに[十年くらいはかかる]ものの、そこまでいくと[書く論文に筋が通ってきて]最低ラインに達っします。こうした練習試合に加えて毎日、各人が専門分野の[自分のテキストを持っており、それを読むこと]が必要です(p.139)。

前提として語学ができなくてはなりません。そのための[父親ゆずりの私の記憶の秘訣]があります(p.43)。(1)毎日勉強すること、(2)同じことを5日続けて復習すること、(3)目で見るだけでなく手で書いて覚えること…の三ヶ条です。

[一日二百語覚えても、四十日で八千語]のペースだと、[ギリシア語やラテン語の場合でも三カ月やればいいのだ]。[ドイツ語やフランス語といった近代語ならその半分、四十日ですむ]のです。たぶん最低でも[一日に五、六時間はかかる](p.43)でしょう。

木田は、これくらいは最低だといった調子で平然と書いています。本人は、そうしてきたのですから、何とも言えません。こういうものを読むと、あらためて自分に甘すぎたという気がしてきます。お手軽方式ではモノにならないというのは、当然のことでしょう。