■リーダーに必要な日本語文法:通説的な日本語文法がダメな理由

     

1 リーダーに必要とされるルール

先日行った文章をチェックする講座の場合、対象はリーダーの方々でした。リーダーと言っても様々でしょうが、部下がいるということです。部下の文章をどう読むかというとき、何をチェックしたらよいのかが問題になります。思想はチェックできません。

外形から見ていくこと、つまりは形式から見ていくのが王道でしょう。外形から見ていくと、大枠と具体的な断片とから判断することになります。大枠を頭に入れながら、細かいところを見ていくのです。神は細部に宿るといいます。その通りです。

では日本語の文で細部というのは、どういうところでしょうか。これがポイントになります。一つは文末です。もう一つは、文末の主体になります。日本語の場合、文末にいたって、そのセンテンスの意味が最終的に決まりますから、文末とその主体が大切です。

結局は文法的な発想で文を見ることになります。大枠とは別に、神は細部に宿るを明確にルール化しようとするのが、日本のビジネスリーダーに必要な日本語文法だということです。しかし現行の日本語文法はポイントがずれていて、こうした文法になっていません。

      

2 文末とその主体が基礎

日本語は文末が一番大切であり、その文末の主体の言葉がセンテンスの主役になりますから、その組み合わせが大切です。主体となる言葉がわかりきったものなら、記述されません。あえて記述する場合、文末の主体となる主役の言葉を強調することになります。

主役のマークとなるのが助詞の「は」「が」です。これらの助詞は、言葉にアクセントをつけます。わかりきった言葉なら、記述しなくても意味を採る場合に問題はないのです。あえてアクセントをつけるのは、その語句を強調するためだということになります。

文末に置かれた言葉によって、センテンスの意味が確定しますから、その前提として、語られた内容の対象となる言葉が「誰なのか、何なのか、どこなのか、いつなのか」を間違えてはいけません。取り違いや、不明だというのでは、伝達が適切でなくなります。

      

3 日本語の論理性の基礎

日本語のセンテンスの意味を取り違えないように、一番基礎のところに気をつけるべきでしょう。基礎とは、文末に置かれた言葉がセンテンスの意味を確定するということ、その主体を正確に理解することです。ここでまちがったら、意味を取り違えます。

多くの場合、文末の言葉の意味が不明だとか、主体を取り違えるということはありません。しかし、ときにダマシになりやすいケースがあります。主体が記載されず、かわりに強意を示す「は」接続がある場合、ときどきおかしなことになりがちです。

たとえば「その本は、もう読んだ」の主体を「その本」だと勘違いするリスクがあります。通説的見解だと「この本は」が主題であり、そのあとに関係事項が解説されているのだから、「この本に関して言うと、もう読んだ」という構造だと説明するでしょう。

この説明は、日本語の論理性の基礎について触れません。関係があれば接続可能です。日本語では、文末で意味を確定するとき、主体がわかっていることが前提になっています。述べられることの主体が明確であることは、日本語に限らず、不可欠なことです。

       

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