■現代の文章:日本語文法講義 第20回概要 「『主語・述語』から『主題・解説』へ」

     

1 近代的な文章にするための条件

古代から近代的な文章になるためには、条件がありました。加藤徹が「本当は危ない『論語』」で記しています。[近代的な文章は、それだけを黙読して完全に理解できる。古代の発想は違った](p.149)。文章の真意を伝える学者の解説が必要だったのです。

『日本語の歴史6』(平凡社ライブラリー)で、[論理的であるとかないとかという以上の、あまりにも大きなもの](p.188)として、言文一致体があげられていました。しかし、それよりも前に、読めばわかる文になっていなくては、どうにもなりません。

第一、文章だけで意味が通じるようにすること。
第二、言文一致体を確立させること。
第三、論理性を獲得すること。

文章を近代化させるためには、これらが必要になります。第一の条件では、何について語っているかが明確であること、さらにその対象が、どうであるかについて語ることが不可欠です。第三の条件では、何についてとどうであるかの関係が問われることになります。

      

2 「象は鼻が長い」

いままで述語の問題点について、語ってきました。述語を分解したことによって、本来持たせるべき機能が失われてしまったということが問題です。その結果、「主語-述語」の概念では、日本語散文の分析が不十分だと感じられるようになりました。

「主語-述語」を否定する考えも提示されました。庵は『新しい日本語学入門』で三上章の主張を紹介しながら、その代わりの概念について、[その概念は主題です。主題というのは、その文で述べたい内容の範囲を定めたものです](p.87)と記しています。

三上章は『象は鼻が長い』という本を出しました。題名が、例文になっています。「象は鼻が長い」の英文は、Elephant has a long nose」ですから、「象は」が最重要語だと言いたくなります。しかし「象は」と「長い」の対応関係がありません。困ったでしょう。

このとき「象」は主語でなくて、主題なのですという主張が出てきたのです。「象は」が主題であり、そのあとの「鼻が長い」が主題の解説だと説明されれば、そうか、日本語では、「主語・述語」よりも「主題・解説」で考える方が適切だと感じるかもしれません。

     

3 「主題・解説」の問題点

「主語・述語」を放棄して「主題・解説」に変えた場合、述語概念で得られた日本語の基本的な構造が説明しにくくなります。述語が束ねていたキーワードをどう説明したらよいのでしょうか。森山卓郎『ここからはじまる日本語文法』では、以下の説明があります。

▼動詞には、その自体が成立するために情報として最低限必要な名詞がある。これを「格成分(必須補語とも必須成分とも言う)」という(もっとも、日常会話では、わかっている場合は省略されることがある)。 p.58 『ここからはじまる日本語文法』

しかしセンテンス成立のために「名詞」が必要なのは、動作を表す場合に限りません。無理な説明をすることになります。述語を放棄すると、成分の抽出にも苦労することになるのです。「主題・解説」だけで説明するのは、簡単ではありません。

さらに問題なのが、文章の近代化に必要な3点に関してです。第一の「文章だけで意味が通じる」ことの説明は「主題・解説」でできます。しかし第三の「論理性」について、「主題・解説」で説明するのは無理でしょう。「主題・解説」にも問題があるのです。

     

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