■正しさの評価とシンプルさ

     

1 帰納的なアプローチ

ものごとを突き詰めて考えていくと、シンプルなルールや概念が見えてくるという話があります。証明ができているわけではありませんから、こうした考えが正しいとは言いきれません。しかし経験からいっても、多くの場合、正しいのではないかと感じます。

逆に、まだ詰めが甘いと感じさせる何ものかのうちで、一番大切な基準の一つはシンプルでないということです。うだうだ説明しないと、言いたいことが言えない場合、詰めが甘いのだと感じます。詰めていけば、全体が統合され、バランスが良くなるはずです。

こうした考えには、理論的な根拠があるとはいえませんから、発想としては帰納的な考えだということになります。具体的な事例から一般化を進めるアプローチでいかないと、シンプルにならないものです。ビジネスの場合でも、このアプローチが一般的でしょう。

     

2 成功の秘密の条件

シンプルに説明できるくらい洗練されてきたら、モノになるかもしれないという発想には、それを裏づける事例が不可欠だということになります。ただし実際には、逆でしょう。同じパターンの事例がいつくもあることに気がついて、理論化していく方向です。

こうした発想法を持つと、さらに進んで、成功事例、圧倒的な成果をあげた事例には、どこかシンプルなルールがあるはずだという考えになっていきます。成功の秘密があるはずだと考えるのです。そのときの秘密は、シンプルでないと価値がなくなります。

なぜシンプルでないと、価値がないと感じるのでしょうか。おそらくシンプルであれば、正しいかどうかの判定が容易にできるからです。もし詰めの甘いものであったならば、形式がシンプルなほど、間違いを主張する事例が提示しやすくなります。

検証がしやすいことに、シンプルさの価値があるということです。このことは当然、モノのあり方は、そんなに単純ではないという考えと対立します。そんなに単純でないという感性は、われわれに備わっているはずです。このあたりのバランスが問題になります。

     

3 正しさの判断基準

シンプルでないと、詰めが甘いことは確かなのです。しかしシンプル化して、それですべてが説明できるはずありません。結局のところ、すべてを説明できるシンプルな基準、概念、ルールなどないのです。このことは、われわれも前提として、わかっています。

しかし、にもかかわらず、個別の説明がシンプルにいかないと、それはどこか甘いと感じさせます。一番影響を与える、重要要素をあげよという発想があるのでしょう。たとえば成果をあげようとする場合に、いちばんの鍵は何かと考えるのが普通です。

シンプルさは、補助線を引くときの条件だという言い方もできるでしょう。何かを納得する場合、シンプルな理論を示されて、そのシンプルさを検証できたなら、われわれは、ひと先ず納得します。納得するというのは、完全に正しいと認めたことではありません。

確率論に近い発想だといえます。こうすれば成果が上がるはずだ、その可能性が高いということです。絶対的な正しさはわからないが、この考えで行くと正しいだろうと、類推できることが、私たちを納得させます。正しさの評価について、考えているところです。