■哲学書を読もうとさせる本:『いまこそ読みたい哲学の名著』
1 ヘーゲル翻訳者の哲学の解説書
長谷川宏はヘーゲルの翻訳者として著名です。この人に、『いまこそ読みたい哲学の名著』という入門書があります。15冊の名著が選択され、長谷川の解説がついていると言うと、陳腐な感じがするでしょう。形式は、その通りなのですが読む価値はあります。
当然ではありますが、すべてが素晴らしい解説だとは思いません。[最初に取り組んだのが、デカルトの『方法序説』だ]とのこと。この解説からお読みになればいいと思います。あるいは、ひと先ずこの解説だけで、いいかどうか、判断できるでしょう。
▼私自身がヘーゲルの翻訳で苦労を重ねてきただけに、訳本の選択はいい加減にはできない。手に入る限りを集めて目の前に並べ、なんども読みくらべ、日本語として曖昧なところが少なく、文章にリズムのあるものとして野田又夫訳を採った。 p.245
これは[『方法序説』に限らない]と記しています。専門家なら原文にあたることが出来るでしょう。しかし読む立場に立ってみたときに、翻訳を問うのは当然のことです。いくつかの翻訳を自分で比べてみて、長谷川と同じになるか、その辺も楽しいでしょう。
2 『方法序説』のすすめ
デカルトは『方法序説』で「良識はこの世で最も公平に配分されているものである」と言います。違和感があるでしょう。長谷川は、デカルトが[普通の人々とに勝ることも劣ることもない人間として、普通の人々とともに知的に生きる]ことを望んだと指摘します。
デカルトは書物の世界から「世間という大きな書物」の世界に行き、また自分自身を研究しました。そして[考える力である精神の存在が疑いえない確実なものであるとして、その精神の思考があやまたず真理に到達する方法]を[四つの規律にまとめ]ています。
世の中とのつき合い方として、生活では保守的に、行動ではきっぱりした態度で、自分に打ち勝つことを旨とすることを規則としました。デカルトの世界像は[西洋の近代世界に広く受け入れられた]ものですから、この100頁に満たない本は読む価値があるのです。
3 デカルトと共に『眼と精神』を
この本にある中から、もう一つのパートを読むとするなら、この本の最後に置かれたメルロ=ポンティの『眼と精神』の項目でしょう。[科学は物を巧みに操作するが、物に住みつくことは断念している]とあるようです。どういうことか、よくわかりません。
メルロ=ポンティ自身が[語りつくしたという境地には至らない]ため、[なんども語りなおされる]。その過程で[科学の操作主義の対極に絵画]を置く『眼の精神』が成立しました。[絵画が身体の動きそのものからうまれる]点、[科学の対極にある]のです。
[身体を通してみられるもの、触られるもの、感じられるもの、そこにすべてのはじまりがある]、これが[精神が身体に住みつき、物に住みつ]くことであると、最後に長谷川は言います。絵画に興味がある人なら、デカルトとともに、この本を読むべきでしょう。
『方法序説』がフランス語で書かれたのは[ダンテが『新曲をイタリア語で書いたことや、ルターが『聖書』をドイツ語に訳したことなどが思い合わされる]と長谷川は記します。『眼と精神』もフランスならではの哲学です。この二章だけでも価値はあります。