■ハイエクの「知識」について:解説書の効能

      

1 エッセンスの理解と解説書

経済学の専門家でない私たちは、直接、経済学の古典を読んでも、十分な理解は得られません。そういうとき、どうしたらよいのか、それに対するヒントが何人かの大家から示されています。例えば、金森久雄は『大経済学者に学べ』で、こう言い放ちました。

全ての学説に[いちいちつき合っていては自分で考えている時間がな]くなるから、[一部は精読し、他は学説史でカバーする]のがよいというのです。[自分の考えを発展させること]が大切だということになります。よい解説があれば、それでもよいのです。

フランク・ハーンは、この点をさらに補強します。『現代経済学の巨星』下巻で古典の中でも[価値のある部分は、その時以来吸収されて久しいし、もしも再度言わなければならぬとすれば、われわれは概して以前よりも上手く言うことができる]というのです。

      

2 間宮陽介による解説

専門家なら、原典に当たって厳格に意味を読み取る必要があるかもしれませんが、古典のエッセンスを利用して自分の考えを発展させようとしたら、原典よりもよくできた解説の方が役立つ可能性があります。それなら、お手上げにはなりません。希望が出てきます。

ハイエクのいう「on the spot」の知識という場合(現場の人「man on the spot」が持っている情報)、この知識がどんなものであるのか、ハイエクの論文を読んでも、明確にこうだろうとは言えません。たぶんこうだろうという予測にすぎないのです。

こういうとき、専門家が一言で、こうだと言ってくれると安心するでしょう。「科学/技術と人間6」の『対象としての人間』の中で、「社会の中の技術」という論文を見つけました。ここで間宮陽介はハイエクの知識についての考え方を一筆書きにしています。

▼ハイエクによれば、一般に知識というものは既製品という形で存在しているのではない。とりわけ企業にとっては知識は客観的事実を意味しない。企業にとっての知識とは「一般的法則の知識という意味ではとうてい科学的とは考えられない、組織化されていない知識、すなわち時と場所の特殊的な状況についての知識」のことである。 p.171

専制主義が機能しない理由が、これでわかります。[このような知識を計画当局が一手に把握することなどおよそ不可能]だからです。[分権化された市場経済の利点は特定の時と場所に関する知識をうまく活用できる点にある]ということになります。

     

3 青木昌彦によるハイエクの否定的評価

間宮のこの論文での解説を読んで、ハイエクの考えについて、やっと少しわかった気になりました。しかし、その先が問題になります。ハイエクの考えについて、青木昌彦は『移りゆくこの十年 動かぬ視点』の「タテとヨコ」で否定的に扱っているのです。

やはり一つの解説を読んでわかった気になるのは、リスクがあります。解説を読むだけで、簡単に理解できるはずありません。ハイエクの考える「価格メカニズムの情報システム」について、青木は否定的に論じています。それも根本的な批判というべきでしょう。

「価格メカニズムの情報システム」が成立するなら、各個人が自分の知識を最大限利用することによって、現場情報が最も有効に利用されるはずでした。しかし、青木はそれに否定的です。ハイエクの考えには[組織としての企業の理論がない]と指摘しています。

企業を企業家個人の集合であると考える前提に立っているのではないかという指摘です。組織にはマネジメントが必要ですし、全体最適を考えるなら、個人の総和とは違った成果が生まれることになります。大切なポイントでしょう。いま考えているところです。

      

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