1 リーダーなら、読めばレベルはわかる
年度末の締切仕事が一段落しました。ひと休みして、来週からまたあれやこれやと始まります。どうやら連載も再開できそうです。その前に、先日行った文章チェック講座について書いておきたいと思います。この講座について書いていませんでした。
部門のリーダーになると、メンバーの文章をチェックする機会が何度もあるはずです。そのとき、どうやって評価をしていけばよいかが問題になります。たいていリーダーたちは、読めばそのレベルはわかるのです。しかしどう評価を伝えたらよいのでしょうか。
かなり優秀な若者たちから、苦情が出ているのに、意外にリーダーたちは気がついていません。「内容が何となく漠然としているよね」と言われた若者は「やっぱりバカですね」と本音を漏らしていました。そう言われることでしょう。言い方が拙すぎます。
リーダー側はもはや、読めばわかるというだけでは済まないと思っておくべきです。面倒なことですが、しかし実力のある人ならば、読めば分かるなどとは言いません。若者からバカにされないように、コメントの形式を考えたほうが、本人のためにもなります。
2 論述・論証の方法を問う
文章の場合、内容と形式とで別々に評価されがちです。しかし両者は一体という面もかなりあります。論述の方法がどうであるかということになると、内容であるとは言いきれません。論述する内容をどう選択するかというのは、論述の一部でしかないでしょう。
たとえば事実を提示して、事実に対して解釈を記述していきします。そして、この解釈が正しければ、こうなりますと論述していくことがあるでしょう。この流れは、おかしくありません。問われるのは、この解釈が正しいかどうかの論証ということになります。
事実に対して論証なしで「これが正しいとするならば、こうなります」と記述したとしたら、その論述はまったくお話になりません。正しいかどうかは、仮定の問題でしかないのですから、それを論証する必要があります。論証が抜けていると指摘すべきでしょう。
3 論証評価のためにセンテンスをチェック
論証が拙いのは、若者によくあることです。しかしおそるべきことに、ごく一部の人は、論証が拙くても、かなりいい線まで物事を追い詰めていることがあります。ダメだと否定してしまってはあまりにも惜しい素材を提示していることがあるのです。
こういう可能性があることも、個々人を見ているリーダーなら気づいているかもしれません。この場合、その素材をどうやって発展させ、モノにするかを教えてあげればいいのです。こういうとき、リーダーの実力が文章チェックに反映されるというべきでしょう。
個別のセンテンスの拙さは、しばしば見られることですが、その前に論証自体の問題を指摘すべきです。そのほうがチェックされた側も納得します。リーダーは論証の拙さを見破るために、センテンスの分析が必要なのです。こんな方針で講座を作りました。