■テキストの作成:毎回苦しみ、勉強になる経験

    

1 内容と形式の一致

今朝、やっとテキストの原稿を送付しました。締切前にすでにほとんどできていましたが、ゼロベースで作り直さないと、どうもぼやけたものになる気がします。素材はそろっているのですが、一気にやらないと上手くまとまらないという感じがするのです。

文章をまとめる場合、書く内容と書く形式とがうまく一致しないと、何だか変なことになります。どちらかが優位なのではなくて、両方がピタッと来る感じです。需要曲線と供給曲線とが一致したようなイメージでしょうか。なかなかうまくいかないものです。

テキストの場合、文章のようには書きません。構成をメモしたものに、言葉を添えていくような感じです。そのほうが、内容をさっと目で追えます。6時間分のテキストでも、内容が頭に入っている場合、たぶん1時間もあればもう一度内容を確認できるはずです。

     

2 必要十分な内容をいかに薄く作るか

かつて自分の名前の出ないテキストを作っていた時期がありました。そんなに大がかりなものではありません。幸いなことにわりあい好評だったらしく、作る機会が何度か与えられました。自分が講義をしないものの場合、結局は伝わるかどうかの基準で作ります。

思い入れがないせいか、これくらいわかれば一番大切な部分は押えられるといった判断がしやすかったのでしょうか。あっさりめにみえるテキストが、わかりやすかったと言われたことが何度かありました。網羅性を重視していたら、電話帳のようになります。

情報量が多いほど、利用する人にとっては負荷がかかりますから、必要十分な内容をいかに薄く作るかがポイントです。厚いテキストは専門家の作るものではないという考えがあったように思います。いまも同じ気持ちです。しかし薄くするのは簡単ではありません。

テキストの場合、薄ければいいともいえなくて、テキストだけで、独り立ちしていることが前提条件になります。薄いながらも、そのテキストだけで全体像が見えてくるようにということが目標です。いつものことながら、上手くまとめるのに苦労します。

     

3 意識してなかったことへの自問

自分の作ったテキストで、本当にご満足いただけたのかは、よくわかりません。ただ実感していることは、自分のある程度分かっているはずの分野でも、テキストを作ってみると思いのほか苦労して、必ず勉強になるということです。作る側にもご利益があります。

たぶん、かつてドラッカーが言っていたことともつながってくるはずです。トップの成績をあげた営業担当者をさらに伸ばそうとしたら、その人に何かを教えるのではなくて、営業についての講義をしてもらえばいいと書いていました。教えることが勉強になります。

自分の行っていたことは、かならずしも意識的なことばかりではありません。何となくとか、こんなの決まっているとか、他人にはわかりにくいところが出てきます。そのとき自分流の枠組みについて、なぜを問うてないことに気がつくことになるのです。

今回もテキスト作成の過程で、最初の見通しと大きく変わったところがありました。以前入れておいた部分を大胆にカットして、違う項目を立てて、まとめてみたのです。ところが、アッと思いました。カットしたらテキストが独り立ちしないのです。発見でした。