■直訳という方法:「現代の文章:日本語文法講義」5回

現代の文章:日本語文法講義 第5回

     

1 われわれの欲しい文法

大枠だけ決めて、行ったり来たりしながら連載を始めることにしました。第2弾となる5回目をアップしたところです。思いつくまま書いておいて、少しおいてまあいいかと言った感じで公開しました。日本語の文法ですから、結論を急いでも、どうにもなりません。

学校文法には違和感があるのは当然ですが、しかし通説的なものは、全くわれわれの欲しい文法とは別物です。そんなことがありますから、のらりくらりと行きます。前に引用したものをまた引用するのはどうかと思いながら、必要ならいいかと載せてしまいました。

やはり間が空くと、調子が変わってきます。今回は、少し方法について意識が向きがちです。アプローチの仕方がちがうとしたら、できあがるものは当然違います。今回、日本語がどんな刺激によって変化してきたのか、その大枠を押えておきたくなりました。

      

2 訓読法という「定型的直訳メソッド」

日本語は、漢文の影響をもろに受けています。記述方法がなかった日本語を記述するために、日本人は訓読という方法を開発しました。その結果、日本語には漢文の影響が色濃く残っています。しかし漢文を基礎に、日本語の散文を開発することが出来ませんでした。

いわゆる骨格のしっかりしたセンテンスをつくらなくてはいけません。そのとき欧米語の中でも特に英語のエッセンスを学ぶ必要がありました。ずいぶん形式の違う言語から、どうやって日本人はエッセンスを学んで、自国語に取り入れたのでしょうか。

漢文ならば、訓読法がありました。この訓読法というものは、加藤徹が『漢文ひとり学び』で指摘するように[訓読は日本人の祖先が編み出した、すぐれた定型的直訳メソッド]です。漢文調の日本語訳を読み続けていれば、日本語にも影響があるでしょう。

      

3 英語直訳が「標準的書き言葉」を形成

英語を読むときに、漢文用の訓読法みたいな便利なメソッドはなさそうです。ところが英語の側に、それがありました。英語を学ぶ人たちのために、学生用の文法書が作られていました。その中心となるのが品詞と構文であり、いわゆる5文型による学習法でした。

漢文の訓読法はいわば漢文を「直訳」するものです。英語を読むときにも、いわゆる学校文法の方法を使って、私たちは直訳をすることになりました。これは入試科目にありましたから、国民的な努力が重ねられたのです。渡部昇一は記しています。

▼学校の英語で「直訳」し、入試英語で「直訳」して、意味は何とか通ずるが奇妙な日本語を「書く」ことによって、日本のインテリは最も集中的な日本語作文の訓練をしたのであった。そうして育ったインテリの日本語が、現代の日本の「標準的書き言葉」を形成しているのである。 『レトリックの時代』:講談社学術文庫 p.243

こうした経緯を見たうえで、文法について考えていかなくてはならないと思いました。よほどの例外的な人でない限り、日本語の文法をしっかり学ぶこともなく社会人になります。社会人が学ぶにたる日本語の文法がまた開発されていないということなのです。

      

This entry was posted in 日本語. Bookmark the permalink.