■「何かがある」とは?:画家たちの話から

    

1 話題の画家が低迷

知りあいの画家たちが話しているときに、お聞きできた話です。展覧会がありましたので、それを見に出かけました。そこに知り合いの画家の方もいらしていて、いつものことながら自然に何人かでお話がはじまったのです。さりげない話のはずでした。

何人かの画家が話題に上って、彼はその後どうなったのかという話になりました。ある種、その人が話題作を提示する風な画家だったのです。話をしている画家たちは、いわゆる具象の画家です。どちらかというと普通に見てきれいな絵を描きます。

話題になった画家が最近低迷しているというのです。個展や展覧会もやっているけれども、ぱっとしないとのこと。そのうち何かの拍子に、話が学生時代にさかのぼっていきました。この人は学生時代に、教授から褒められていたそうです。

自分はつまらない絵を描くと言われてきた。自分だけじゃなくて、みんなたいてい、つまらない絵しか描かないとね。ところが教授が言ったんだよ、彼の絵には何かがある、その何かはわからないけれども、この何かが大切なんだとね。こんな風に画家は言いました。

     

2 陳腐から花開く

かつて美大の先生から、何かがあると言われた画家が低迷しているのです。それを話す画家は、伝統的な古典的な技法でずっと描いてきた画家ですから、いわば陳腐だとみなされてきました。学生時代からずっと、つまらない絵だと言われてきたからね…とのこと。

基本的な技法は自分の方が上だという前提での話でした。何だか身に染みる思いもあります。たまたま古い時期からの展覧会の図録を見たことがありました。長い道のりだったでしょう。40歳を過ぎてからの絵でも、とにかくつまらない絵ばかりでした。

私が見る限りブレークしたのは50歳を超えてからのことです。絵が好きな人なら、それらを並べていくと、アッと驚くことになるでしょう。ずっと伝統的な技法に従って描いていたのですが、あるところから画家としか言いようのない絶対的なレベルになっています。

    

3 何かがありそうなだけで、何にもない

つまらないと言われていて、実際本当につまらない陳腐な絵を描いていた画家の絵も、ある時期からつまらなくないものになってきました。今後さらに期待が持てるかもしれません。しかし若いころ、何かがあると褒められていた画家は、どうしたのでしょうか。

何年も、彼の絵には何かがあると言われていたけどね。何かがあるというけど、それがわからない。そのうち何かがあるのがわかるのかと思ったけどね、何十年かたってわかったよ。何にもないよ。何かがありそうなだけで、何にもないのがわかったね。

もう一人の画家が話に加わりました。この人も自分の絵が陳腐だと言われ続けたのです。他の画家の例を出して、やっぱり何にもなかったですね、と言いました。何かが明確にならずに、何となくありそうなまま月日がたって、何もないことがわかったと。

「何かがある」というのを、ある時、誰かが明確にしてくれたらよかったのですが、無理だったのでしょうか。実際、「何かがある」というだけのものは、しばしば何もないものでした。何かが明確にならないうちは、本物にならないのかもしれません。

    

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