■日本語の漢文脈離れ:日本語散文の構造

    

1 二重の主語・述語の関係が成立

小川環樹と西田太一郎の『漢文入門』は[漢文に関する本では名著の名の高い](千野栄一『外国語上達法』p.69)本だとのこと。『漢文入門』には、[漢文は同じ大きさの漢字が同じ間隔でならべてあるだけで、文や語の切れ目はなかった](p.3)とあります。

[しかし昔から句というものがあ]り、文章を区切って読んでいました。[主要なものは四字句であり、対句である](同書 p.3)そうです。「一将功成枯万骨(一将功成りて万骨枯る)」ならば、「一将功成」と「枯万骨」の二句で成立していることになります。

▼一将功成=「一将の功成り」と解釈できぬことはないが、ここでは「一将」と「功成」とが、それぞれ一つの単位になっているのであって、「一将」は「功成」の主語、「功」は「成」の主語で、二重の主語・述語の関係が成立している、「一将だけが功が成り」 『漢文入門』p.13

漢文では漢字二文字でまとまるのが自然であるということでしょうか。「一将」と「功成」が各々単位になり、漢字二字が並ぶとき、両者の関係が問われることになります。ここでは「一将」⇔「功成」と「功」⇔「成」がともに主語・述語の関係とのことです。

     

2 ヨーロッパ語を基礎に散文の文体が確立

「一将功成」を訓読にすると「一将だけが功が成り」のように、主語の二重構造が反映されます。「一将」に「が」、「功」にも「が」が接続されるのです。漢文式に解釈すると、センテンスに二つの主語があり、主語の階層が違う文構造だということになります。

しかし、現代の日本語の文章を解釈する場合、こうした解釈は成り立ちません。日本語の漢文離れと言ってよいかもしれません。このあたりを岡田英弘は『日本史の誕生』に記しています。歴史的にも、漢文から日本語が出発して、そこから離れていったのです。

▼日本語の散文の開発が遅れた根本の原因は、漢文から出発したからである。漢字には名詞と動詞の区別もなく、語尾変化もないから、字と字の間の論理的な関係を示す方法がない。一定の語順さえないのだから、漢文には文法もないのである。このような特異な言語を基礎として、その訓読という方法で日本語の語彙と文体を開発したから、日本語はいつまでも不安定で、論理的な散文の発達が遅れたのである。
 結局、十九世紀になって、文法構造のはっきりしたヨーロッパ語、ことに英語を基礎として、あらためて現代日本語が開発されてから、散文の文体が確立することになった。 (ちくま文庫 pp..329-330)

センテンスに一つの主語というのが、欧州言語での原則です。日本語の書き下し文の「一将だけが功が成り」を句分けするなら、「一将だけが/功が/成り」となります。だから現代日本語のルールに従うならば、文末の「成り」の主体が問われることになるのです。

      

3 漢文脈から欧文脈に近づく

文末「成り」の主体は「功」でしょう。「功が成り」が主語・述語(主役・文末)の関係になります。では「一将だけが」をどう解釈すべきでしょうか。主役の言葉を修飾する言葉だという風に考えるのが自然です。「一将だけの功」という解釈になります。

つまり「一将だけの功が/成る」と解釈することによって、文章構造が明確になるということです。現代風にするなら「一将だけの功績が・成立する」という感じでしょう。もっとこなれた日本語ならば、「一人の将軍だけが功績を上げる」という構造に変わります。

『漢文入門』では、[「一将の功成り」と解釈できぬことはないが]と記していました。これなら上記と同様に「一将の功が/成り」になります。しかし漢文の解釈としては自然ではないようです。逆に日本語としてみるならば、こちらの解釈が自然に感じます。

現代の日本語の記述では、センテンスの主語は一つになるのが原則です。主語が二重構造になるような解釈は、日本語の現代文では不自然に感じて、採用できなくなりました。日本語の文法構造が漢文脈から距離をとりだし、欧文脈に近づいてきたということです。

    

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