■宮崎市定と横光利一の『旅愁』:歴史の発想について

    

1 大戦の中間期に特有な煩悶

おそらく横光利一の『旅愁』という小説を読む人は、もうほとんどいないでしょう。この小説を読んで大切にしている人間にとって、宮崎市定の支持は心強いものです。絶賛といっていいほどの褒め方をしています。これには、ちょっとした因縁があるのです。

宮崎は昭和11年2月20日、フランス行きの箱根丸に乗り込みます。台湾海峡を過ぎた頃、東京で二・二六事件が起こったのを聞いて船内でも大きな衝撃をもって受け止められました。この船に横光利一も乗っていて、宮崎市定は横光と知り合いになります。

▼小説『旅愁』の発端が箱根丸の航海を借景としていることを知ったのはつい最近のことであり、読み始めてみると不思議な魅力にぐんぐん引かれて、最後まで読み通した。単に小説としてではない、ここには二度の大戦の中間期に特有な在留邦人の煩悶が取り上げられていることで、私は横光さんの歴史に対する鋭敏な感受性を知って改めて感心したのである。 「東と西との交錯」:1976年10月

『旅愁』には、箱根丸の船客らしき人物が登場します。ところで[主人公の矢代は、大学講師級で、歴史の実習のため半年間ほど、叔父の金で渡欧し、著作に心がけている]のですが[箱根丸船中を見渡して、私自身の他に歴史屋というものは居なかった]のです。

      

2 宮崎市定による『旅愁』への絶賛

宮崎は知らないうちに小説の主人公になっていたようでした。ただ主人公だと言われたら[私は真っ平御免だ、と抵抗するだろう。それは矢代青年は歴史屋でありながら、少しも歴史屋の体臭を発散させぬからである]と記します。同時に小説を絶賛するのです。

▼『旅愁』は文章の良さは言うまでもないが、女の対話がことに美しく、しみじみとしたストーリーの運びは何だかモーロワの小説でも読んでいるような面白さを感じさせる。ひょっとしたらこれは日本人放れのした、世界文芸上の大傑作なのではあるまいか。

宮崎は『旅愁』の中の東野の言葉を引いています。[外国から来た抽象名詞というやつは、分析用には使うけれども、人間の生活心理を測る場合には、極力使わない用心をしているんだ]。宮崎は、[これは歴史家の用心と共通する]と記しました。

歴史家に限らないことでしょう。宮崎は身にしみる言い方で、大切なことを語っています。[横光利一は、だから東西文化を比較するに、その本質とやらを探るような発想法を用いない]。まさに発想自体の問題です。ではどうしたらよいのでしょうか。

      

3 歴史学の発想

宮崎は横光の言葉を引いて、歴史の方法を示します。[パリなんて所は、僕等の生きている時代は、これ以上の文化が絶対に二つと出ることのない都市です]という言葉は、[現代という時点でのパリだと、ちゃんと押えている]、その点を評価しているのです。

また[日本にパリだけの美しい通りのできるまでには、まだ二百年はかかるよ]という言葉を褒めます。[相違を、何よりも先ず時代の落差で押えようとしている。本当に二百年でよいかは別問題として、はっきり数量で押えたために、ぐっと実感が沸く]のです。

▼抽象語の議論の中には、具体的な数量はめったに出てこないものだ。実感と明晰、これは正しく私の考えている歴史学の立場そのままである。小説家、横光利一は歴史がわかるのだ! その頭の良さは抜群である。

この歴史の方法は、実務を行う人間が持つべき発想法として、必要不可欠なものでしょう。以上の文章が所収されているのは『宮崎市定全集』20巻です。抜粋が文庫化されました。宮崎の書いたものを読むと、「頭の良さは抜群である」と感じさせられます。

      

This entry was posted in 一般教養. Bookmark the permalink.