■意識的なトレーニング:あらためて今北純一『欧米・対決社会でのビジネス』を

     

1 圧倒していた『欧米・対決社会でのビジネス』

今北純一の『欧米・対決社会でのビジネス』を読んだ後、そういえば、もう一冊いい本があったと思いました。そのとき思い浮かべていたのは、『自分力を高める』という本でした。もう一冊ということは、その他はあまり評価していなかったということです。

この人は何冊も新しい本を書いていて、何だか内容が薄くなってきた感じがしていました。棋士の羽生善治元名人との共著『定石からビジョンへ』は、単独の著書でないから妙だったのでしょうか。しかしその他の本も、たいてい途中で読むのをやめていました。

ところがそのあと読んだ『自分力を高める』はコンパクトでいい本だと思ったようです。今回、あらためて取り出してみました。読んでみると、だんだん思い出します。しかし記憶などあてにならないものです。『欧米・対決社会でのビジネス』が圧倒しています。

あらためて今北純一の『欧米・対決社会でのビジネス』をお勧めしたいと思いました。この本を書き上げるのに5年かかったとエピローグで今北は書いています。現役のビジネス人として[走りながら書かねばらな]かったものでした。内容が圧倒的に濃厚です。

     

2 対決という対話に近い概念

今北の本を再読しようとした目的は、ヨーロッパの伝統をもう一度感じ取りたいと思ったからでした。そうした目的なら『欧米・対決社会でのビジネス』がよいのです。[自分自身を書くこと]がそのまま、ヨーロッパの伝統を書くことになりました。

プロローグで[自分という個人を大切にするという至極当たり前のことを優先して蓄積を重ねてきたのがヨーロッパである]と今北は記します。[その中で、私自身に最も強烈なインパクトを与えたものは][個人レベルでの「対決の流儀」である]とのことでした。

[対決は対立ではなく、むしろ対話に近い概念であると、今だから断言できる]という言葉は、最初に読んだときも今も心に響きます。[素手一つでヨーロッパに飛び込むと、次から次と乗り越えねばならぬ対決の山に見舞われ][真剣勝負の連続]になりました。

     

3 意識的なトレーニングの必要性

スイスのバッテル研究所での入社試験では、二十分で[私たちを始めて接触するクライアントと見立てて」自分を売り込むようにと言われます。何とか話し始めると、途中で話が遮られ、これをどうやってクライアントに買わせるのかを聞かれることになりました。

こうした言葉による対決が休みなく続きます。[二日間で、総勢百人くらいの人間と面接しただろうか]と記しています。訓練の量が圧倒的に違うのです。ではどうするか。[場数を踏み、意識的にトレーニングを積むしかない]、まさにその通りでしょう。

この本の事例を見ても、言葉の対決には無駄だと思うものもかなりありますし、フランスでもそうした傾向にうんざりすることがあるようです。しかし日本人の場合、意識的に言葉にすること、文章にすることのトレーニングが、あまりに不足しているのを感じます。

トレーニングというのは、意識的にはじめるしかありません。この本を読むと、次から次へと自分の拙さに気がついて、何とかしようと思いはじめます。面倒な話だと思って放置してあったものですが、また読んでしまいました。あれこれ考えるしかありません。

    

This entry was posted in 方法. Bookmark the permalink.