■乱読の条件:外山滋比古『乱読のセレンディピティ』をめぐって

   

1 乱読に転向するきっかけ

外山滋比古に『乱読のセレンディピティ』という本があります。[本はナメるように読むのがよい][難しい本を、じっくり、丁寧に読む。なんなら、二度読み返すくらいにするのがためになる、そう思っていた]と文庫版のはしがきに書いています。

過去形で書かれていますから、もはや違う考えであるということです。[それが、いつの間にか、ゆらぎだした]とのこと。[転向のきっかけがある]と書いています。大学の卒業論文を書かせていたころの経験が、考えを変えさせることにつながったようです。

まじめな学生が、つまらないレポートを書いてきた、何だか引き写しのようである。それに対して、[好きな本を読んでいる学生が、ときとして、生き生きとした、おもしろいモノを書いた]という。外山は[乱読がおもしろい]と身に染みて感じたようです。

      

2 乱読の効果を上げる条件

しかし外山は重要なことを付け加えていました。学生が書いた[おもしろいモノ]とは、[論文とは言えないにしても、自分の考えたことが出ている]ものでした。素人あつかいしている学生レポートについての、よりましな方のレポートを見ての発言でした。

[よく勉強する、まじめな学生]でも、本を引き写すことが[知的正直にもとるという自覚すらないのだからあわれである]と書いています。まじめでも優秀とは認めていません。外山は、あまり出来のよくない学生を比較して、乱読の価値に気づいたのでした。

しかし論文になるレベルのものを書こうとしたら、基本的な専門書を、きっちり読む訓練が必要です。外山自身この本で、[読むのは、複雑な知的作業であるから、自然に読めるようになるということはまずありえない]と書いています。

複雑な知的作業ができる人なら、その後の乱読は生きてくるというのが、外山の本来の言いたかったことだろうと思います。乱読する人は、何らかのヒントを求めて、それを見つけるように読むのがふつうかもしれません。乱読の効用を知る人は少なくないはずです。

      

3 セレンディピティとストロング

外山は『乱読のセレンディピティ』のあとがきで、外国語で読書するときに、よく読めないことがあって、[正しく読みとることは困難だと悟ったが、それと同時にそういう間違いだらけの読みが思いもよらない発見をもたらすことに気づいた]と記しています。

何かを得ようとして、対象に向きあうことによって、何かを得ることができるということは、ありうることのように思います。外山はそれを[セレンディピティのように思った]と書きました。偶然によって、予想もしない幸運をつかむこと…といえそうです。

ハロルド・ブルームは、何かを得ようとして、対象を読み取っていくと、どうしても対象の誤読が生じることになると指摘していました。対象はきっかけであって、その先が目的です。ブルーム流にいえば、ストロングな読書という言い方になります。

外山の場合、[スピードを上げないと、本当の読みにならない][のろのろしていては生きた意味を汲みとることはおぼつかない]と考えます。その結果、乱読になるというロジックが働いているようです。外山の本には、たくさんのヒントが散らばっています。