■規範文法の評価について:北原保雄『日本語文法』

     

1 日本語文法の基本書

現代の日本語の書き言葉である「文章日本語」が成立した時期は、司馬遼太郎の見立てでは、だいたい1980年頃ということになります。これは『司馬遼太郎全講演』[2]に所収されている3の日本語をテーマにした講演録を見れば、確認できるはずです。

それでは1980年以降の現代日本語の文法書はどうなっているのでしょうか。定番と言える本はないようです。定番でなくても、基本書というべき本なら、あるかもしれません。その第一候補は1981年刊の北原保雄『日本語の世界6(日本語の文法)』でしょう。

この本は、1989年にまとめられた『日本列島の言語』の「日本語(現代 文法)」で、執筆者の寺村秀夫が参考文献にあげたもののうち、1980年以降では唯一の文法書でした。1983年刊『スタンダード英語講座[2] 日本文の翻訳』でも、安西徹雄が言及しています。

▼日本語特有の発想法の体系が、今では次第に明確に理論化されようとしている。その現況を手短かに知るには、例えば北原保雄氏の『日本語文法』(昭和56年、中央公論社、「日本語の世界」第6巻)などが参考になる。特にこの本は、一種の文法論史としての性格も備えているので、日本文法研究の過去と現在を知ろうとする者にとっては、役に立つ。

    

2 文法とはどんなものであるか

北原は初めに、文法とはどんなものであるかを問うています。しかし、その定義はなされていません。ただ、[文法の勉強をして、なるほど日本語にもこんなにすばらしいきまりがあったのかと]という言い方がありますので、文のきまりのことなのでしょう。

清水幾太郎の『論文の書き方』を引用したうえで、そこで使われた[文章を論理的に構成するための基礎的ルール、論理的思惟の基礎的ルール]という言い方を引き継ぎました。それを[文章の理解や表現のための基礎的ルール]と言い換えています。

文法とは文章の基礎的ルールなのでしょう。その文法は[規範文法と記述文法とに分けることができる]。北原は「みたく」という言い方を例に両者を論じて、[ことばをありのままに、このようであると記述する文法]である記述文法をよしとしています。

     

3 ビジネスや学術論文で使うべき文章であるか

規範文法で問題なのは、[規範性の程度には差がある]という点であって、「それはどこで決まるのか」と北原は問います。規範を勝手に決めるなということでしょう。それでは司馬が言った「共通文章日本語」との関係はどうなるでしょうか。北原は言います。

▼これが正しいとか、これはあやまりであるというようなことをいうのではなく、ありのままに記述するのである。「みたく」が現に通用しているのであれば、「みたいに」が本来的には正しい形であるとしても、「みたく」は「みたい」の連用形として記述されるのである。

どうやら北原は、[正しい]かどうかでなく、[通用している]かどうかで決めているようです。ここでいう[通用している]とはどんな状態を言うのでしょうか。[正しいと認められる度合い、つまり規範性の程度には差がある]との言がそのまま当てはまります。

[正しい]が相対的であるのと同様、[通用している]というのも相対的でしょう。これでは役に立たないのです。ビジネスや学術論文で使うべきであるかどうか、それを規範にして文章を論じなくては意味がありません。北原の本は批判的に読むべき基本書です。

      

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