■「春」の品詞は何か:漢文の品詞概念と日本語の品詞

1 散文の開発が遅れた原因

日本語はいうまでもなく、英語や漢文とは文構造が違います。文法が違ったものになるのは当然です。文構造の違いはそのまま記述形式の違いとしてあらわれ、それを記述する方法の違いが生じます。日本語での記述には、どんな特徴があるといえるでしょうか。

岡田英弘は『日本史の誕生』で、[日本語の散文の開発が遅れた根本の原因は、漢文から出発したからである]と記しています。日本語を記述しようとするとき、文構造の違う漢文をベースにして記述法を考えたのです。簡単に記述法が確立しませんでした。

岡田は言います。[漢字には名詞と動詞の区別もなく、語尾変化もないから、字と字の間の論理的な関係を示す方法がない。一定の語順さえないのだから、漢文には文法もないのである]。日本語のルールを考えるときに、品詞中心で考えるのは無理があるのです。

 

2 現代日本語の開発

論理的な日本語の文章を書こうとするとき、江戸時代の学者たちは、しばしば漢文というか、漢文のような日本語で記述していました。散文の場合、当時でもまだ日本語になっていない、こなれていない状態だったというべきでしょう。散文の開発が遅れたのです。

岡田はおなじ『日本史の誕生』で、日本語の散文の成立について記しています。[十九世紀になって、文法構造のはっきりしたヨーロッパ語、ことに英語を基礎としてあらためて現代日本語が開発されてから、散文の文体が確立することになった]。

日本語のルールを検証していくときに、漢文と英語という言語の影響を考えざるを得ません。英文法なら、品詞を基礎にして文法を考えていきますが、漢文を基礎にすると、品詞が不明確になってきます。日本語の場合、この中間にあるといえるかもしれません。

 

3 漢文の品詞概念

英語のような明確な品詞の体系を日本語に求めても、無理なことでしょう。しかし漢文と較べると、日本語の品詞の体系がじょじょに見えてくるはずです。例えば、漢詩で一番有名な一つである杜甫の「春望」を見てみましょう。以下、一海知義の解説によります。

[律詩は、第三・四句、第五・六句をそれぞれ対句にしなければなりませんが、この詩は例外的に、第一・二区も対句でできています](『漢詩入門』)。「国破山河在」と「城春草木深」が、[微妙なアンバランス]の対句(『漢詩一日一首 春』)なのです。

「国破-山河在」の「-」に、あえて接続詞を入れるなら[逆説の「シカシ」]が入り、「城春-草木深」の場合、[順接の「ソシテ」]が入ります。対句ですから、文の基本構造は同じです。「国破れて」の「破」と、「城春にして」の「春」が対比されます。

「国」は名詞であり、「破」は動詞です。「城」も名詞ということで問題ありません。しかし「春」が問題になります。日本語では名詞です。漢文では[「春が来た」と、動詞のように使われています]。漢文の品詞の概念は、日本語とはかなり違うのです。

      

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