■「読み書き」の学問化:文法・論理・修辞学

1 教養の最も基礎的なもの

一番の基礎学問というのは、どういうものになるのでしょうか。「読み・書き・そろばん」というのが最低限のスキルだという風に、日本では考えられてきました。これらを学問としてとらえたとしたら、それが一番の基礎学問になるのかもしれません。

村上陽一郎が『やりなおし教養講座』でヨーロッパの知識人の教養について書いているのを読みながら、学問の伝統を感じました。三つの必須科目として「文法・論理・修辞学」があげられています。これが[教養の最も基礎的なもの]という位置づけです。

読み書きが学問になっています。「そろばん」は、自然へのアプローチの「算術、幾何学」にあたりそうです。これらは学者に限らず、ビジネス人でも必要になることでしょう。今後、残るであろう本には、考える方法とでも言うべき何らかの芯があります。

 

2 修辞学の5つの部門

村上は『やりなおし教養講座』で、[文法と論理と、それらを使うだけではまだ文章にならないので、文章をいかに巧みに説得的に書きあげるかという修辞学]が必要になると言います。文法と論理学は基礎中の基礎で、そこに修辞学が加わる図式でしょうか。

渡部昇一が『レトリックの時代』所収の「レトリックのすすめ」で修辞学の5つの部門を示しています。(1)テーマの発見、(2)テーマを並べて組み立てる、(3)実例の盛り込み、(4)言葉を飾る、(5)発音、身振りの方法。(1)~(4)が書きあげる方法にあたります。

ビジネスリーダーの中にも、これらをきっちり学ぶと、仕事の基礎力が上がる人がいるはずです。著者が亡くなってもずっと残る本の中には、基本姿勢の違いを感じさせるものもあります。記述の訓練をしてきたと感じさせる、ある種の厳しさがあると思うのです。

 

3 文章構成法への完全な無智

「レトリックのすすめ」の中で、渡部昇一によって[日本で修辞学の大家といえば、私は、まず清水幾太郎氏をあげる]と言われた清水は、『論文の書き方』で、[手仕事のルールは教えることも、学ぶことも出来るであろう]と記していました。

しかし[日本語の「文章構成法への完全な無智」は、到底、学生の半数などで済みはしない]、[文法は、文章を論理的に構成するための基礎的ルールを、従って、論理的思索の基礎的ルールを教えるものではなかった]と指摘し、自分の経験を語ります。

[外国語の文章を数式のように解読する経験を通じて][一語一語の重みというもの、これらの一語一語からなる文章の組み立て]、[つまり、定義および文法]を[外国書を読むことを通じて知り、これを日本文を書く仕事の根本に据えることが出来た]のです。

流行とは違う、変らない基礎の分野があるように思います。それらが外国語との格闘によってしか習得できないようでは話になりません。基本から考えてみる必要がありそうです。私たちは学ぶべきものを、学んでこなかったと言えるかもしれません。

 

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