■日本語を明確にする方法:谷崎潤一郎『文章読本』の「秘訣」の逆手

1 日本文の英訳

安西徹雄がスタンダード英語講座[2] 『日本文の翻訳』で、谷崎潤一郎の『文章読本』にコメントをつけています。この本の「日本文」というのは、日本語の日本文学ということです。日本文学者サイデンステッカーの日本文学の翻訳が対象になっています。

『日本文の翻訳』は、日本文学を英語に翻訳するときに問題になる点はどんなところか…を問題にした本です。谷崎の本は、日本語の中でも[日常眼に触れるところの、一般的、実用的な文章]を対象としていますが、文学を排除しているわけではありません。

谷崎は『文章読本』で、『源氏物語』の原文とアーサー・ウェーリーの英訳を比較しています。これはなかなか面白いものです。安西の言葉で言えば、[日本文学と西洋文学の描写、文章法の一般的な対比にまで筆をのばし]ています。

 

2 谷崎の主張の問題点

谷崎の主張は明快です。[英文の方が原文よりも精密であって、意味の不鮮明なところがない]、[英文の方は、わかりきっていることでもなお一層分からせるように]記している、その結果として、英訳にすると言葉の数が多くなっている…というものでした。

英語に限らず、[西洋の書き方は、できるだけ意味を狭く細かく限っていき、すこしでも蔭のあることを許さず、読者に想像の余地を剰さない]。時制の規則、単数複数など数の区分、関係代名詞など、日本語にない規則が西洋語にはあるためだと言うのです。

安西は谷崎の考えにコメントをつけています。第一に、アーサー・ウェイリーの英訳は英語全般というよりも、[ウェイリー訳固有の癖による面も少なくない]のです。第二に[訳文が原文より長くなるというのは、翻訳一般に見られる現象]であると言えます。

さらに谷崎が日本語には[西洋語にあるようなむずかしい文法]がないと言うのは、誤解を生みやすい言い方であり、今までの文法が[日本語のさまざまの現象を説明できず、実用の役にはあまり立たなかった]だけであって、今後に期待できるということです。

 

3 谷崎の秘訣の逆手

谷崎が英語と比較して、日本語の特徴であると言っているところは、すこし割引いて読まないと、間違うことになるでしょう。日本語で明確な文章を書くのはむずかしいと、谷崎は『文章読本』で言いますが、実際のところ、この谷崎の本での文章は明確なのです。

安西は、谷崎の主張にズレたところがある点を指摘しながら、谷崎の本が[今日読んでみても啓発されるところの多い書物]だと評価しています。そして[谷崎の「秘訣」をいわば逆手に取]ることによって、英訳作業の[基本的な方法論になる]というのです。

▼英語の発想や表現からすれば必要な要素を周到に付け加え、先程の言葉を繰り返すなら「明示的」「論理的」な形に直しておいてから、はじめて英語に置き換える作業に取り掛かればよい。 『日本文の翻訳』p.12

これは、日本語を書くための方法でもあるでしょう。明示的、論理的にするのに[必要な要素を周到に付け加え]て文にすれば、日本語も、明示的、論理的になるのです。論理的な発想や、それにふさわしい表現スタイルが大切であるということになります。

 

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