■画家の手法:有馬良作遺作・有馬久二展での語らい

1 有馬久二画伯との会話

先日、知りあいの画家の展覧会があって、お話してきました。お父様との親子展です。時期が心配でしたが、「親父さんも、喜んでくれたと思う」とおっしゃる通り、いい展覧会になりました。お父様は1964年の東京オリンピックのポスターを描いた有馬良作です。

息子の有馬久二画伯は、椿の絵で有名になった画家でした。二人は抽象と具象で全く違う画風ですが、展示を見ても両者の絵がケンカすることがありません。何となく影響がありますねと申し上げると、構図とか、知らずに影響されていると思うとのことでした。

絵のことを話したことはないとのことですし、それが自然なのでしょう。しかし、お二人の絵が調和しているのです。東京オリンピックのポスターは、高校生の時に僕が塗った、形が決っていて、色指定がされていて、きれいに塗るのは上手だったからね…とのこと。

画家に、作品をつくるときの話を聞くのは楽しいことです。ものをつくること、それもオリジナルなものを何度となく作ってきた人たちですから、語られる内容は安定しています。どうやってモノをつくるのか、しばしば画家たちの話を参考にしてきました。

 

2 評価基準が頼り

有馬久二は言います。自分は締切を守る。画家には締切のギリギリまで描いている人がいるけど、描いてからしばらく見直す時間が必要だからね…と。確認型の仕事の仕方は堅実な画家のすることかもしれません。そうでないタイプで、優れた画家もいます。

しかし堅実型に見えるこの人でも、計画通りに絵を描いていません。そう、たいていうまくいったのは、偶然うまくいったということ。最初から決まった通り描けましたなんてのは、全くダメ…と。ある種の感動、感覚があっても、それは確定していないのです。

画家は感覚を言葉でなく、色と形を使って表現していきます。そのとき自分なりの基準を頼りにしています。これはダメとなったら、それは画家にとって絶対的にダメです。この基準こそが画家そのものでしょう。そう簡単にブレない、かなり客観的な基準です。

 

3 偶然が本物にする

私たちが何かを構想するとき、最初からすべてが完成している設計図をつくろうとしがちです。今までにないものを構想しようとするとき、最初から見えている程度のゴールでは不十分なのでしょう。同時に、こうでなくてはならないという基準が必要です。

ここで使われる評価基準が製品開発などのコンセプトに近い存在であることを感じます。画家の発想をそのまま当てはめることは出来ないでしょう。しかし水準を超えた画家が、偶然性を常に味方につけようとしているのは、ほとんど例外のないことです。

偶然に上手くいくという要素がないと、大したものはできない。私にとって公理ともいうべき指針です。画家たちは、構想を立てて描きはじめていき、実践の過程で偶然の獲得をする、それを取り入れながら作品を完成させていく―。偶然が作品を本物にするのです。

 

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