■安崎暁の合理性:コマツをグローバル企業にした経営者

1 1995年にコマツ社長就任

安崎暁(あんざき・さとる)という経営者は、今後、もう一度注目される存在だと思います。2018年5月26日に亡くなりました。はやいもので、もう3年になります。コマツの社長に就任したのは1995年でした。1ドル79円という円高になった年です。

この円高について安崎は、いずれ後悔するときがくるぞと思いながら、企業トップとしてグローバル化をすすめました。海外企業を買収し、海外事業を拡大するとともに、主力工場は1ドル70円でも競争できる体制になるように投資と改革を推進したのです。

同時に国内の生産能力の削減が必要でした。国内で革新を進めるか、海外に出るか、廃業するか、そうした選択を迫ったのです。こうして守りを固め、一方で、人材育成と情報武装に焦点を定めます。10年間で500人のリーダーをつくりあげることを目指しました。

ライバルのキャタピラーが鉱山事業を拡大させていましたから、もはや時間を買うしかありません。アメリカ、ドイツの会社を買収していきます。さらに鉱山運営ソフトのベンチャーも買収しました。こうやってグローバルな鉱山機械事業をつくりあげたのです。

 

2 世界で優勝するスピードと柔軟性

コマツは河合良成社長の時代(1947年12月~1964年7月)に、人員を充実させ、品質向上を通じて組織を発展させました。河合は中興の祖とも言われます。安崎は1961年、河合社長の時代にコマツに入社。会社の発展を身をもって感じることが出来たようです。

しかし発展したコマツでも、1995年の社長就任時、まだグローバル企業として、世界で戦えないという意識があったとのこと。世界で優勝するスピードと柔軟性を持っていなかった…と後に講演で語っています。そのため人材育成と情報武装を強化したのでした。

社長方針として、人材育成と情報武装に焦点を定めて、これで攻めていくというのは見事です。しかし言うまでもなく、実践するのは大変なことでしょう。2014年に安崎暁がめずらしく講演をしています。講演録にしましたので、それをご覧いただけたら幸いです。

 

3 原則にそって合理的に行動

安崎には、やることはやるという発想があります。原則にそって、合理的に行動していくのです。鉱山用の生産システムの「ばら売り」をやめて、鉱山まるごとのパッケージを売るビジネスモデルに変更したとき、発想が違うからと担当者の配置を変えています。

日本ではSAPの導入が難しいと言われていますが、これについて、「コマツの場合、世界で使っているものを入れるということだけです。嫌がる人は取り替える。世界で話をして決めるのです。外国人の意見を聞くことです」と、2014年の講演で語っています。

合理主義は、歴代社長にも自分にも、公平に適用されています。河合良成への個人崇拝の弊害が見えたとき、『コマツ創業の人 竹内明太郎伝』が出版されました。仕掛け人である安崎の名前はどこにもありません。ただ、河合の銅像は数年で消えていったのです。

生前葬の場所が、コマツ本社近くのホテルになったのも偶然でした。場所の選定には、合理的な理由しか必要ありません。社員の参加は禁止。参加したコマツ関係者は、パネル管理の数名と坂根・野路の2人の社長のみでした。安崎からすれば当然のことでしょう。

◆参考ブログ:  安崎暁(あんざき・さとる) コマツ元社長のこと

 

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