■起承転結に代る骨組み:文書の目的と形式

1 忘れられつつある「起承転結」

日本語の文書を作るときの指針として、一番標準的なものが起承転結だろうと思います。漢詩の4行詩である絶句の形式から来ていて…などということを学校で習ったことがあるかもしれません。しかし、この形式がどうして論文に使えるのでしょうか。

中井久夫は『清陰星雨』で[最小限千二百字、段落が四つ、起承転結、これが日本語の短い論文の基本である]と書いていました。ポイントは、転にあります。ここで他説に言及したり、予想される反論に対して言及することが必要だということです。

しかし中井のように、転を他説の考慮の部分と捉えて、論文を書くときの指針にする人など、まずいません。起承転結の場合、昔からの形式主義というニュアンスがありました。その結果、いまや「起承転結! ああ聞いたことがあります」といったところでしょう。

こうした他説を考慮した慎重な形式は、現在でも多く見られますし、否定されていません。しかしビジネスでは、もはや起承転結の発想は消えてきました。どうやらアメリカ流の効率性に影響を受けたように思います。なぜ起承転結が消えてきたのでしょうか。

 

2 「転」は道草とみなされる

文書を作るとき、意識して全体構造をつくることは大切なことです。骨組みを作って、各要素を配置していくことになります。こうした全体の構造をつくるとき、シンプルに構成しようとしたら、必要不可欠なものにしぼって作成していくことになるはずです。

自分の言いたいことが明確になるように、いわば自説だけで構成していくのが王道だということになります。広い視野をもって、この論を構成しているのだと言おうとして、他説や反論を考慮するのは逆効果になりかねません。「転」は道草だと感じさせるのです。

少なくともアメリカ人から見ると、自信のなさ、あるいは[論旨の弱さ、論者の優柔不断とみなされます]。このことを知って中井は、[私がこれほど驚いたことは久しくない]というのです。もはや、こうした驚きかたが意外な感じを与えるようになりました。

 

3 文書の目的から形式が決まる

自分たちが言いたいことを要素として選び出し、全体構造を設計していくというのが文書作成の基本になります。構造を設計する意識が必要です。こうした設計をするときに、何らかの習慣が働くことがあります。起承転結もそうですし、自説中心主義もそうです。

ジャーナリズムの世界では、逆ピラミッド形式とか、逆三角形型の書き方が一般化していました。初めの部分に結論が示され、そのあとに説明が加えられ、最後に振り返りや展望が置かれる形式です。しかしこうした形式も、かなり変形してきています。

たとえ逆ピラミッド形式がA4一枚の文書で適用できたとしても、もっと大きな文書で適応してよいのかどうか、これはわかりません。その都度、要素と構造を考えていくしかなさそうです。文書の目的から形式が決まるのが本来の姿だといういうべきでしょう。

 

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